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2013/03/06

耳嚢 巻之六 譯有と言しも其土俗の仕癖となる事

 譯有と言しも其土俗の仕癖となる事

 

 京都にては盆中に表毎に燈籠を三十日の間とぼす事なり。是(これ)明智光秀、京都の地子(ぢし)をゆるす事ありしを、彼土(かのど)のもの嬉敷(うれしき)事に思ひて、明智滅亡の後、追善の心得にて七月中燈籠を門へ釣(つる)すとや。大阪にて五月の幟(のぼり)を、市中に節句の四つ時分迄に不殘取仕廻(のこらずとりしま)ふ事の由。是は大阪にて、秀賴落城城攻(しろぜめ)の事、五月節句に當りし故、小兒など幟沙汰(のぼりざた)にもあらず、又追(おつ)て追善を思ふ故哉(や)と、昔は言(いひ)しが、今日はかゝる譯もなく、盆燈籠、京地にて七月中家々に燈(とも)し、(大坂にて)五月の幟も五日の晝は仕廻ふ事になりて、自然と其風土の仕癖(しくせ)に成(なり)しと、度々上方へ行(ゆき)し人のかたりぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:感じさせない。民俗学的要素を持ちながら、考現学的にも鋭い知見である。但し、この習慣が現在も京都や大阪の市中で守られているかどうかは知らない(後者は守られていない可能性が強いと推測する)。また逆に、一部のネット記載には近世の京都・大阪・江戸では盆灯籠を盆月が終わっても八月三日まで灯し続ける風習があったともある(HP「盆踊りの世界」のの記載)。もし、ここに書かれていることが守られているという地域や御仁があられれれば、これ、是非とも御教授乞いたく思う。

・「譯有と言しも其土俗の仕癖となる事」は「わけありといひしもそのどぞくのしくせとなること」と読む。岩波版長谷川氏のルビでは「わけある」と振る。

・「(大坂にて)」底本では右に、『(尊經閣本)』からの補填である旨の注記がある。

・「明智光秀」ウィキの「明智光秀の「人物・評価」の項に『光秀は信長を討った後、朝廷や京周辺の町衆・寺社などの勢力に金銀を贈与した。また、洛中及び丹波国に、地子銭(宅地税)の永代免除という政策を敷いたこれに対し、正親町天皇は、変の後のわずか』。七日の間に、三度も『勅使を派遣している。ただし、勅使として派遣されたのは吉田兼見である。兼和は、神祇官として朝廷の官位を受けてはいたが、正式な朝臣ではなかった。こうしたことから、光秀が得た権威は一時的なもので、朝廷は状況を冷静に見ていたと考えられる』とある。地子銭(「じしせん/ちしせん」)とは領主が田畠・山林・屋敷地などへ賦課した地代をいう。岩波の長谷川氏注では地子の注に『市街地の宅地税』とある。

・「四つ時分」午前十時頃。

・「秀賴落城城攻」大坂夏の陣での大阪城落城は慶長二〇(一六一五)年五月八日の朝(前日深夜より火の手が上がっているため、記載によっては五月七日陥落とする)。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 訳有りとは言うもののそれぞれ由来が忘れられ単なる土俗一般の仕癖(しぐせ)として認識されるに至る事

 

 京都にては、盆の間は家ごとに燈籠を三十日の間、燈(とも)すことと相い成ってなって御座る。

――これは、かの明智光秀が、本能寺の変の後(のち)、京都の地子銭(じしせん)を免除致いたことがあったを、かの土地の者どもが、甚だ嬉しきことと思うたによって、明智滅亡の後も、その追善の思いを込めて、七月中は燈籠を門へ釣るすとか申すことで御座る。

 また、大阪にては五月の節句の幟りを、市中にあっては、これ、なんと、五月五日の節句の当日、早くも四つ時分までには、残らず降ろして、しまいおいてしもう、との由。

――これに就きては、大阪夏の陣の大阪城攻めに於いて、豊臣秀頼公の籠城なされた大阪城落城は、これ五月七日八日(なぬかようか)の、まさに五月の節句に当たって御座ったゆえ、小児なんどの幟りの沙汰どころでは御座らなんだ――また、おって秀頼公追善の意も含んで御座ったものか――と、昔は言い伝えて御座ったと申す。

 しかし、今日(こんにち)では、このような意味、分かってそうした仕儀が行われておるという風にては、これなく、ただただ、仕来(しきた)りとして、

――盆燈籠は、京都にては七月中一杯は家々に燈(とも)すもの

――五月の幟りは、大坂にては五日の昼にはしもうてしまうこと

となっておる由。

 自然、その土地の、あたかも遙かに遠い昔からの、自然な仕方の型癖と相い成って御座る。……

 

 以上は、たびたび上方へと参る御仁の語って御座った話である。

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