北條九代記 賴家卿出家流罪 付 千幡公家督 竝 元服
○賴家卿出家流罪 付 千幡公家督 竝 元服
將軍賴家卿の惡行、重畳(ぢうでふ)し給ひしかば、心ならず御餝下(おんかざりおろ)し給ふ。御病惱の上には國家政理(せいり)の御事も始終尤も危くおはしますとて、尼御臺所政子の御計(はからひ)として、伊蔵國修禪寺に御下向なし奉らる。正治元年より以來(このかた)、御治世、僅(わづか)に五年なり。北條時政、同子息義時等、千幡公(ぎみ)を取立て主君とす。故右大將賴朝卿より以來(このかた)の御家人等、皆、本領を安堵したり。時政が妻牧御方(まきのおんかた)は、尼御臺所政子の爲には繼母(けいぼ)なり、かゝる折節に千幡公をも害し參らせんと思ふ志有りけれども、義時等が介抱に依て其事叶はず。同九月十五日、千幡公を關東の長者とし、從五位下の位(ゐ)記竝に征夷大將軍の宣旨を鎌倉に下されけり。十月八日、千幡公、年十二歳にして御元服あり。武藏守義信、加冠たり。理髮は外祖時政なり。政所の吉書始(きつしよはじ)め、御鎧(よろひ)の著始(きはじめ)、馬乘弓初(のりゆみはじめ)、皆その儀式を行ひ給ふ。鶴ヶ岡二所、三嶋以下の神社に各々神馬を參らせて、世上無爲(ぶゐ)の御祈(いのり)あり。鶴ヶ岡の塔婆の事、建立の始に火災ありて、當宮以下、鎌倉中の民屋數(す)町焼失す。既に再興の御爲に地曳(ぢびき)せらるゝ所に、賴家卿没落し給ふ。旁々(かたがた)以て不吉なれば、此經營、然るべからずとて、尼御臺政子の計(はからひ)として塔婆の再興を停止せらる。神慮如何(いかゞ)と覺束(おぼつか)なし。
[やぶちゃん注:頼家の出家と伊豆修善寺への強制下向は「吾妻鏡」巻十七の建仁三(一二〇三)年九月七日及び二十九日に、千幡の征夷大将軍就任、元服その他の儀は同年九月十五日、十月八日・九日・十四日に、最後の鶴ヶ岡八幡宮寺の塔婆建立の停止(ちょうじ)は同年十二月三日の条に基づく。
遂に頼家が幕政から排除される九月七日の条を見よう。
〇原文
七日壬申。霽。亥尅。將軍家令落飾給。御病惱之上。治家門給事。始終尤危之故。尼御臺所依被計仰。不意如此。
〇やぶちゃんの書き下し文
七日壬申。霽る。亥の尅、將軍家、落飾せしめ給ふ。御病惱の上、家門を治め給ふ事、始終尤も危きが故に、尼御臺所、計ひ仰せらるるに依つて、意(こころ)ならずも此くのごとし。
なお、「okadoのブログ: 源頼家の悲劇~比企氏の乱の真相は…」によれば、この直後の九月七日の、近衛家実の「猪熊関白記(いのくまかんぱくき)」(但し、当時はまだ右大臣)や藤原定家の「明月記」には、「頼家が九月一日に死去したため、弟に継がせたいという幕府の申請をうけ、朝廷が弟を征夷大将軍に任命し実朝の名を与えた。二日には頼家の子や比企能員が実朝もしくは北条氏によって討たれた」と記されている、とある。
「時政が妻牧御方」牧の方(生没年不詳)は北条時政の継室。牧宗親の娘とも妹とも言われ、下級ながら貴族の出身であった。子は北条政範・平賀朝雅室・三条実宣室・宇都宮頼綱室。夫時政とはかなり年齢が離れていたが、その仲は睦まじかったと言われている。寿永二(一一八二)年十一月、産後の継娘政子に夫頼朝の浮気を伝え、政子が牧の方の父(兄?)宗親に命じて頼朝の愛妾亀の前の屋敷を打ち壊させる騒動を引き起こしている。これについては「新編鎌倉志卷之七」の「飯島」の項で、私が事件の詳細を再現しているので是非、ご覧あれかし。
「かゝる折節に千幡公をも害し參らせんと思ふ志有りけれども、義時等が介抱に依て其事叶はず」は後の時政と牧の方の共謀による実朝暗殺計画の仄めかしであるが、ちょっと焦り過ぎのフライングで、文脈上も言葉足らずの印象を拭えず、伏線の張り方としては筆者らしからぬ失敗である。
「加冠」男子の元服の際に初めて冠をつける儀式初冠(ういこうぶり)での、冠を被らせる役。「ひきいれ」とも言った。
「理髮」男子の元服や女子の成人の裳着(もぎ)の儀式で頭髪の末を切ったり結んだりして整える役。
「吉書始め」武家で年始・任官・将軍職相続等の際に吉書(初めて天皇に上奏する形式的な政務上の文書)を出す儀式。
「二所」伊豆山権現(走湯権現)と箱根権現。これに次の三嶋社を加えた二所詣(加えても二所と言った)では文治四(一一八八)年一月二十日に頼朝によってはじめられた儀式である。
「鶴ヶ岡の塔婆の事、建立の始に火災ありて、當宮以下、鎌倉中の民屋數町焼失す。既に再興の御爲に地曳せらるゝ所」当巻の先行する「判官知康落馬 付 鶴ヶ岡塔婆造立地曳」を参照。
「尼御臺政子の計として塔婆の再興を停止せらる。神慮如何と覺束なし」無論、「神慮如何と覺束なし」の部分は「吾妻鏡」にはない。この辺り、既に向後に顕在化する筆者の政子個人に対する批判的視点が顔を見せ始めているように私には思われる。]
« さくら貝、ふたつ重ねて海の趣味、いづれ深しと笑み問(と)はれけり。 萩原朔太郎 | トップページ | 鬼城句集 新年之部 (全) / カテゴリ「鬼城句集」始動 »