心理學者の誤謬 萩原朔太郎
心理學者の誤謬
夢の解釋について、多くの心理學者に共通する誤謬は、覺醒時に於ける半醒半夢の狀態から、眞の昏睡時の夢を類推することである。夢が性慾の潛在意識であるといふフロイドの學説も、おそらくその同じ誤謬から出發してゐる。覺醒時に於ては、既に半ば意識が働き、夢を夢と意識することから、人は或る程度まで、夢を自分の意志によつて、自由にコントロールすることができるのである。そこでフロイドの説の如く、人はその日常生活で抑壓され、ふだんに内攻してゐる性の欲求を、おのづから夢の中に變貌して表象する。多くの人々にあつて「まだ醒めやらぬ明方の夢」が樂しいのは、つまり言つてこの事實を説明してゐる。なぜならフロイドの説によれば、夢は原則として「樂しいもの」であり、性の解放による饗宴でなければならないからだ。だが眞の昏睡時の夢は、概してあまり樂しいものではなく、むしろ性の解放とは關係がないところの、恐ろしいことや悲しいことが多いのである。
ベルグソンの夢の説も、ひとしくまた同じ點で誤つてゐる。ベルグソンによれば、夢は身體の内外に於ける知覺の刺激――戸外の物音や、胃腸の重壓感や――によつて動因的に表象されるといふのである。彼はその例證として、戸外で吠える犬の聲から、大砲の音を表象し、それによつて戰爭の夢を見たと言つてる。覺醒時に於て、知覺が半ば目を醒ましてゐる時には、疑ひもなくその通りである。しかし意識が全く昏睡してゐる夢の中では、ベルグソンの説明が意味をなさない。おそらく夢の解説は、もつと不思議で解きがたく、謎の深い神祕の闇に低迷してゐる。
[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年七月創元社刊のアフォリズム集「港にて」の「個人と社會」の冒頭にある「1 夢」の六番目、前掲の「夢の起源」の次に配されている。この内容は頗る共感出来る。これ、凡そ日本の昭和初期の一介の詩人の書き散らしたもののとは思われない。古い夢分析についての精神分析学の学術論文の一節と偽っても、誰もが信ずるであろう。]
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