日本の文学 萩原朔太郎
●日本の文學
日本の文學には、いつも二つの範疇しかない。「老人の文學」と、そして「少年の文學」である。即ち一方には、情熱の枯燥し盡した、老人の閑話小説的な文學があり、一方にはこれと對照して、少年血氣の激情に醉ひ、空虛な怒號や無思慮の理想に惑溺してゐる、感傷的の乳臭い文學がある。
「日本人の特殊なことは」と、或る外國人が評して言つた。「一般に早老であり、少年期から老年期へと、一足跳びに移つて行き、早く年齡を取つてしまふ。」と。同樣に我々の文學が、また少年期から老年期へと、一足跳びに變移して行く。そして兩者の中間にあり、人生の最も成熟した收穫時代、即ちあの所謂「中年時代」を通過しない。その中年時代に於てのみ、人は思慮の深い反省と經驗から、内に燃えあがる情熱の火を止揚して、眞の力強い作品を書き得るのだ。
日本の文壇と文學とは、人生の收穫すべき、最も重要な時期を通過しない。それからして文學が、いつも永遠の「稚態」と「老耄」との外、一の成熟をも見ないのである。
[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十月第一書房刊のアフォリズム集「虚妄の正義」より。]
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