詩と散文 萩原朔太郎
詩と散文
人生は、二つの時間から成立してゐる。夜と晝と。夢と現實と。無意識の生活と、意識する生活と。そこで文學もまた、二つのジヤンルに分類される。詩は夜の夢に浮ぶイメーヂであり、散文は晝の現實に意識するヴイジヨンである。それ故に詩は、常識の方式する文法や悟性を無視して、獨自なドリームライクな仕方により、意識の幽冥に出沒する自我の主體を表現する。――理想的に言へば、人はこの二つの文學(詩と散文)とを書くことにより、意識する自我の生活と、無意識する自我の主體とを、兩面から表現することによつて、初めて自我を完全に表現し得る。
[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年創元社刊のアフォリズム集「港にて」の冒頭パート「詩と文學 1 詩――詩人」の八番目、先に示した「抽象觀念としての詩」の直後に配されたものである。]