一言芳談 一二〇
一二〇
或人、明遍に問うて云、學問のほど、暫く、念佛の數反(すへん)を減じ候はんと。答へて云、學問は念佛を修(しゆ)せんがためなり。若し數反を減ぜらるべくは、教へたてまつるべからず。
〇學問のほど、學問の隙入(ひまいり)の間なり。ほどとは時節をいふ。
〇數反を減じ候はん、日所作(につしよさ)にて、何萬反(べん)ときはめたる念佛の數を少うすり事なり。
〇念佛を修せんがためなり。歸元直指云、今日有緣得逢佛法。當須究本。莫競枝條。
[やぶちゃん注:「或人」は、「問うて」いる「明遍」本人から、
『もっと教学の「學問」を受けたく存じますによって、「念佛の」する回数を「減じ」ようと思います』
と、如何にもな優等生のもの謂いをしている。明遍は、それに対し、
『「學問」は「念佛」をする「ため」のものであります。それを――「若し」「學問」のために――ほんの数回であっても、「念佛」をお「減」らしになる――ということであるのならば――私(わたくし)はあなたに「學問」とか申しておらるるものを、これ、お教え致すことは出来ませんぬ。』
と言っている。この当たり前のことを我々は確かに忘れている。悪しき謂いに於いてただ『ためにする』行為ばかりが、我々の存在を蝕んでいる、と私も思うのである。
「歸元直指云、今日有緣得逢佛法。當須究本。莫競枝條。」底本の訓点を参考に以下に書き下す。
「歸元直指(きげんぢきし)」に云はく、『今日の有緣(うゑん)、佛法に逢ふことを得たり。當に須らく本を究むべし。枝條(しでふ)を競ふこと莫れ。』と。
「歸元直指」は明の宗本の編になる「帰元直指集」のこと。禅と念仏の一元化を主張した古来の説九十七篇を集めたもの。流石に禅語としてすっきりとして小気味よい。]

