復讐としての文學 萩原朔太郎 / 附サントリー・ロイヤルCM
復讐としての文學
アルチユル・ラムボオは、文學を捨てて人生に入つって行つた。反對に或る人々は、人生を捨てて文學に入つて行く。希望もなく、見捨てられてしまつた人生にまで、悲しい復讐を遂げるために。
[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年創元社刊のアフォリズム集「港にて」の冒頭パート「詩と文學 1 詩――詩人」の五番目に配されたもの。
因みに、私はかつての「サントリー・ロイヤル」のCMとそこで用いられた
Mark
Goldenbergマーク・ゴールデンバーグの曲(“Qween Of
Swords”「剣と女王」)が好きで堪らない(かつてのサントリーのCMは飛び切り附きでお洒落だった)。その、
その詩人は――底知れぬ渇きを抱えて――放浪を繰り返した――
限りない無邪気さから生まれた唄――
世界中の詩人たちが蒼ざめたその頃――彼は――砂漠の商人――
「詩なんかより、美味いお酒を」――などと、おっしゃる――
(ここでナイフ投げの男が投げたそれがランボーの詩集に突き刺さる)
ランボー――こんな男――ちょっと、いない――
というナレーションも頗るいい。……いや! 気がついて見れば! このナレーションは! 私の大好きな故草野大悟じゃないか!!!]