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2013/03/15

復讐としての文學 萩原朔太郎 / 附サントリー・ロイヤルCM

       復讐としての文學

 

 アルチユル・ラムボオは、文學を捨てて人生に入つって行つた。反對に或る人々は、人生を捨てて文學に入つて行く。希望もなく、見捨てられてしまつた人生にまで、悲しい復讐を遂げるために。

 

[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年創元社刊のアフォリズム集「港にて」の冒頭パート「詩と文學 1 詩――詩人」の五番目に配されたもの。

 因みに、私はかつてのサントリロイヤル」CMとそこで用いられた Mark Goldenbergマーク・ゴールデンバーグ“Qween Of Swords女王」)が好きで堪らない(かつてのサントリーのCMは飛び切り附きでお洒落だった)。その、

 その詩人は――底知れぬ渇きを抱えて――放浪を繰り返した――

 限りない無邪気さから生まれた唄――

 世界中の詩人たちが蒼ざめたその頃――彼は――砂漠の商人――

 「詩なんかより、美味いお酒を」――などと、おっしゃる――

 (ここでナイフ投げの男が投げたそれがランボーの詩集に突き刺さる)

 ランボー――こんな男――ちょっと、いない――

というナレーションも頗るいい。……いや! 気がついて見れば! このナレーションは! 私の大好きな故草野大悟じゃないか!!!]

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