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2013/03/16

一言芳談 一一六

   一一六

 

 鎮西の本覺房、明遍に問ひ奉りて云、心もし散漫せば、其時の稱名、善にあらず。心をしづかにして後、唱ふべきなりと申し候ふは、いかゞ用意すべく候(さふらふ)らん。答へて云、其は上機(じやうき)にてぞ候はん。空阿彌陀佛がごときの下機(げき)は、心をしづむる事は、いかにもかなひがたければ、念珠の緒(を)をつよくして、亂不亂(らんふらん)を論ぜず、くりゐてこそ候へ。心のしづまらん時と思はんには、堅固念佛(けんごねんぶつ)申さぬものにてこそ候はんずれ。

 

〇散漫、萬境に心のちるなり。

〇上機、すぐれたる心なり。

〇空阿彌陀佛、明遍僧都なり。

 

[やぶちゃん注:「本覺房」不詳。Ⅱの注で大橋氏は「浄土伝燈総系譜」を引かれて、その『中の「長楽寺流総系譜」に「隆寛律師―智慶―隆慶―能念―観念―本覚』(割注で「本覚の下に『住筑前粥田弘教』(筑前粥田(かいた)に住し、教へを弘む)とある)の最後にある『本覚かと推定される』と記されておられる。長楽寺流は、東山の長楽寺に住した法然門下の皆空房(かいくうぼう)隆寛(久安三(一一四八)年~安貞元・嘉禄三(一二二七)年)によって伝えられた系統。参照したウィキアーカイブ長楽寺には、『多念の称名によって臨終の往生が確実になるとするので、多念義とも呼ばれるが、隆寛自身の教学を多念義とするのは適切ではない』とある。また、筑前粥田とは筑前国鞍手郡(現在の福岡県鞍手郡宮田町)の三分の一を占めた荘園粥田荘(かいたのしょう)のこと。立荘事情は不明だが北条政子により高野山金剛三昧院に寄進されて鎌倉幕府の保護を受けた(「粥田荘」については平凡社「世界大百科事典」に拠る)。

「いかゞ用意すべく候らん」これ訳そうなら、

――念仏法を修するに当たっては、如何なる修法前の心得を致すが肝要で御座ろうか?――

といった感じで採りたい。「一言芳談」の作者がどう考えたかは別として、本覚房なろ人物が多念の称名が臨終の往生を確実とする多念義を唱道する布教者であったなら、明遍に対するに、慇懃無礼にして智で武装したトリック・スターとして登場させるに若くはない――と私は考えるからである。

「空阿彌陀佛」標註にあるように、明遍自身のこと。Ⅱの大橋氏の注に、当時の「空阿彌陀佛」と号した人物には『有智の空阿弥陀仏と無智の空阿弥陀仏』の二人があって、『明遍は有智の空阿弥陀仏と呼ばれた』とある。法然の教えを忠実に守り、経典などは一切読まず、日夜称名念仏に専心、極楽の「七重宝樹の風の響き」や「八功徳池の波の音」を思わせるとして風鈴の音を殊の外に愛し、法然をして「源空は智徳をもて人を化するなを不足なり。法性寺の空阿彌陀佛は愚痴なれども、念佛の大先達としてあまねく化導ひろし。我もし人身うけば大愚痴の身となり、念佛勤行の人たらん」と言わしめたという「無智の空阿彌陀佛」、法性寺の空阿弥陀仏(同大橋氏注によれば「天王寺瓦堂本願」とも称されたとある)については参照したウィキ空阿弥陀仏に詳しい。明遍ウィキ。)

「心のしづまらん時と思はんには、堅固念佛(けんごねんぶつ)申さぬものにてこそ候はんずれ。」優れた謂いである。「堅固念佛申さぬもの」は、これで1フレーズで、「まことの思いを込めた念仏を申すことが全く出来なるということ」という名詞節を形成している。即ち、明遍は、

……それは……上機――往生のすぐれた機縁――を持っておる場合のことにて、御座る。……

……心落ち着かぬ煩悩の海のただ中にあって、下機の――機縁の如何にも低き凡夫たる――我れ、「空阿彌陀佛」明遍の如きは……これ……

……心を鎭めることなどは、如何に致いても叶い難きことなればこそ……

……ただただ、数珠の緒を強きものに替えて、断ち切れることのように致しまして……

……心が乱れておるか、おらぬかなんどは……これ、意に介さず……

……ただただ念仏申して……

……只管(ひたすら)に念珠を繰って……坐して御座る。……

……本覚房殿?……心が鎭まる時を俟って念仏を申そうなんどと思っておっては……

――まことの念仏を申すことなど――これ――出来ずなる――のでは、御座るまいか、の?……

と答えているのである。

……そうして……そうしてここで私は思い出すのだ……「こゝろ」のあの……先生の述懐を……

 

「最初の夏休みにKは國へ歸りませんでした。駒込のある寺の一間を借りて勉強するのだと云つてゐました。私が歸つて來たのは九月上旬でしたが、彼は果して大觀音(おほかんのん)の傍(そば)の汚ない寺の中に閉ぢ籠つてゐました。彼の座敷は本堂(ほんたう)のすぐ傍の狹い室でしたが、彼は其處で自分の思ふ通りに勉強が出來たのを喜こんでゐるらしく見えました。私は其時彼の生活の段々坊さんらしくなつて行くのを認めたやうに思ひます。彼は手頸に珠數を懸けてゐました。私がそれは何のためだと尋ねたら、彼は親指で一つ二つと勘定する眞似をして見せました。彼は斯うして日に何遍も珠數(じゆず)の輪を勘定するらしかつたのです。たゞし其意味は私には解りません。圓い輪になつてゐるものを一粒づゝ數へて行けば、何處迄數へて行つても終局はありません。Kはどんな所で何んな心持がして、爪繰(つまぐ)る手を留(と)めたでせう。詰らない事ですが、私はよくそれを思ふのです。……

 

(引用はの電子テクストより)]

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