夕暮室内にありて靜かにうたへる歌 萩原朔太郎 (「薄暮の部屋」初出形)
夕暮室内にありて靜かにうたへる歌
つかれた心臟は夜(よる)をよく眠る、
私はよく眠る、ふらんねるをきて居るさびしい心臟の所有者だ、
なにものか、そこをしづかに動いてゐる夢の中なるちのみ兒、
寒さにかぢかまる蠅のなきごゑ、
ぶむ、ぶむ、ぶむ、ぶむ、ぶむ、ぶむ、
私はかなしむ、この白つぽけた室内の光線を、
私はさびしむ、この力のない生命の動律を。
戀びとよ、
お前はそこに坐つて居る、私の寢臺のまくらべに、
戀びとよ、お前はそこに座つてゐる。
お前のながくのばした黑い髮の毛、
お前のほつそりとしたくびすじ、
お前ののをぶるな手足、
お前の透きとほる肉體、
なやみて白き橫顏、
戀びとよ、
物言はぬ私の少女(をとめ)よ、
お前の心配、
お前の思想、
お前の信仰する神樣の愛、
わけてもその不可思議な美しい奇蹟の信念、
このすべてお前が念ずるもののかげ形を私は眺める、
そこにざめざめとした幽靈のやうなもの、
そこに苦しげなるひとつの感情、
そこにまた寂しげなるひとつの風景のひろがり、
病みてせんちめんたるなる愛のキリスト、
および熱情からきたるところの憂欝的信念と少女らしき慘虐性、
むらさき色の花のくさぐさ、その香氣、
およそお前の愛するもの、お前の求める夢のすべてを私は眺める、
私は眺める、かうした霧の中なるいつさいの憂欝を、かうした人間的祈禱の悲しみを。
戀びとよ、
私の寢室のまくらべに坐つてゐる少女よ、
この愛らしい、しかしながら憂愁にかたむく少女よ、
お前はそこになにを見てゐるのか、
私についてなにごとを見るのか、
この私のやつれたからだ、肉のうすい手足のかげを見るのか、
靑ざめた神經の會話をきいてゐるのか、
そこにまた、この病弱な心臓をお前は見るのか、
ああ、お前はそこに、あまりに長くそれを見つめて居た、
お前の愛らしい瞳がすべての秘密を知るまでに、
よし、泣くな、いま决して泣くな、私のためにお前の淚をおしんでくれよ、
心をはりつめてゐよ、
よしや苦しくとも、たえず心をはりつめてこのひとつの生命をみよ、
このあたたかみあるものの上にしも、お前の白い手をあてて、手をあてて。
戀びとよ、
この閑寂な室内の光線はうす赤く、
そこにもまた力のない蠅のうたごゑ、
ぶむ、ぶむ、ぶむ、ぶむ、ぶむ、ぶむ、
戀びとよ、
私のいぢらしい心臟は、お前の手や胸ににかぢかまる子供のやうだ、
戀びとよ、
遠い墓塲の草かげに眠りつくそれまでは、
戀びとよ。
[やぶちゃん注:『詩歌』第七巻十二号 大正六(一九一七)年十一月号に所収する、後掲する後の詩集「青猫」(大正一二(一九二三)年一月新潮社刊)の「幻の寢臺」の巻頭を飾る「薄暮の部屋」の初出形であるが、それとは全く以って別物のように感じられる。敢えて歴史的仮名遣の誤りや衍字と思われるもの(例えば最後から四行目の「胸にに」の「に」)も総てママで示した。下線「のをぶる」は底本では傍点「ヽ」。]