金草鞋 箱根山七温泉 江之島鎌倉廻 戸塚 /(掉尾) 「金草鞋 箱根山七温泉 江之島鎌倉廻」全篇終了
本記載を以って「金草鞋 箱根山七温泉 江之島鎌倉廻」の全篇の注釈附き電子テクスト化を終了した。
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戸塚
去年(きよねん)の『金草鞋(かねのわらじ)』、伊豆の國の一見よりひきつゞき、箱根の七湯(なゝゆ)廻(めぐ)りから、江の島鎌倉をまはり、ながながの道中つゝがなく、心をなぐさめ、命の洗濯(せんたく)して、これから長生(ながいき)する種をまき、めでたく江戸へ歸(かへ)り道、今宵(こよひ)は戸塚の宿(しゆく)の中村屋にとまり、もはや、明日(あす)は江戸入(い)り。旅の名殘なれば、互ひにその身の無事をよろこび、酒くみかはして、めでたく、この紀行(きかう)の筆をとめけるぞ、またまた、めでたし、めでたし。
〽狂 達者(たつしや)にて
りゝしく
かへるあしもとは
これあつらへの
紺(こん)のたびなれ
「女どもが、ひさしい願ひで、箱根の道中から戻りに、江の島鎌倉を見たいといつたが、これで、なにも言分(いひぶん)はあるまい。その代はり、誰(たれ)でも、これからは、儂(わし)がいふことを、なんでもきかねばならぬが、承知であらうの。」
「あいあい、それはもふ、あなたの方(ほう)からおつしやらぬ先(さき)に、妾(わたし)どもの方からもちかけませう。その代はりには、來年、また、伊勢參宮から大和廻(めぐ)りがいたしたうござりますから、つれていつてくださりませ。」
「それはこの『金草鞋』に伊勢參宮はあつたが、まだ、大和廻りや播州(ばんしう)廻りはない。それに、西國(さいこく)も長崎まで大阪から船路(ふなぢ)はあつたが、陸路(りくみち)がないから、おいおいに、かくであらう。」
「だんなの女子(おなご)は、申しつけておきました。」
[やぶちゃん注:「一見」漢字表記。「いつけん」と読ませているのであろう。
「中村屋」鶴岡節雄氏校注「新版絵草紙シリーズⅥ 十返舎一九の箱根 江の島・鎌倉 道中記」(千秋社昭和五七(一九八二)年刊)の脚注に、「金草鞋二編東海道」にも出てくる旅籠屋とする。最後にはやっぱりタイアップ広告であったか。]
(掉尾)
年々(としどし)、あいもかはらぬ『金草鞋(かねのわらじ)』、幸ひに御評判(へうばん)をゑて、版元の、よく辛抱(しんぼう)、その喜び、すくなからず。今年、廿四編にいたる。なにとぞ、あいかはらず、御評判、よろしくねがひあげたてまつるにこそ。
おさまれぬ
御代(みよ)とてかねの
わらじまで
長刀なりに
きれぬめでたさ
[やぶちゃん注:最後の狂歌は、作家仲間でもあった山東京伝などが受けた寛政の改革での手鎖処罰出版差し止め辺りを皮肉ったものであろう。]