沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 11
池のほとりに一木のかえであり。いにしへ爲相卿、
いかにして此ひともとに時雨けん 山にさきたつ庭のもみち葉
とよみ給ひしより此木、時雨にもそめぬとて靑葉の紅葉と申ならはすよしかたりぬ。むかしのぬしに手向とて、
世々にふるそのことのはのしくれより そめぬそ色はふかきもみち葉
二日にも爰をさりがたくて、かなたこなた見めぐりて迫門の明神へ詣けるに、千歳の古木雲をしのぎ、囘岩宮をつゝみたる山のいきほひ、實に巨靈神の手を延ていづくよりか此山をうつしけむとあやしきばかり也。いかなる御神ぞと尋ければ、是は三島の大明神、本地大通智勝佛、伊豆と和一體也と神職こたへられける。
まうてつるむかしをいまにおもひいつの みしまも同し神垣のうち
法身妙應本無方 三島不阻一封疆
山色涵波顯垂跡 朝陽出海是和光
[やぶちゃん注:書き下す。
法身の妙應 本(もと) 無方
三島 一封疆(きやう)を阻てず
山色 波を涵(い)れ 垂跡(すいじやく)を顯はす
朝陽 海を出づ 是れ 和光
「一封疆」は境界の謂い。]
社の前へは島をつき出して辨才天を勸請し、島へは第一第二の橋あり。島のめぐり古木浦風になびき、よる波しづえをあらふ。一根淸淨なる時、六根ともにきよし。我人のかうべに神やどらざらめや。たのもしうぞおぼゆる。
なみ風も心もなきぬ大海を さなから神のひろまへに見て
宿のあるじ船もよひしてみづから櫓をおして汀を出るに、秋も過行、野島こゝなれば、
身の秋をおもひ合てあはれなり 野島の草の冬かれの色
夏鳥は名のみなり、時は冬のなかば、
三冬にもふるしら雪のたまらぬは こや夏島の名にしきゆらむ
笠島にきて、
笠島やきてとふ里のゆふしくれ ぬれぬ宿かす人しありやと
烏帽子島といへるは、とはでもそれとしるし。
あさゆふに波よせきぬるゑほし島 奧よりあらきかさおりやこれ
箱崎といふあり、
神のまもる西とひかしはかはれとも こゝもしるしの箱崎の松
[やぶちゃん注:この条、「新編鎌倉志卷之八」及び「鎌倉攬勝考卷之十一附録」の六浦や金澤の各名所の項などを参照のこと。
「ひろまへ」広前。神前を敬っていう語。神の御前(具体に神社の前庭をも指す場合もある)。
「もよひ」舫ひ。船を杭などに繫ぎ止める動詞「舫(もや)ふ」の名詞形。
「三冬」は「さんとう」で、初冬・仲冬・晩冬の冬季三ヶ月。陰暦の十・十一・十二月を言う。この時、寛永一〇(一六三三)年十一月であった。
「名にし」の「し」は文節強調の副助詞。名なればこそ。]
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