幼兒の夢 萩原朔太郎
幼兒の夢
幼兒は絶えず夜泣きをし、何事かの夢に魘されておびえ泣いてる。母の胎體を出たばかりの小さな肉塊。人間といふよりは、むしろ生命の神祕な原型質といふべき彼等は、夢の中に何物の表象を見るのであらうか。性慾の芽生えもなく、人生に就いて何の經驗もない彼等は、おそらくその夢の中で、過去に何萬代の先祖から遺傳されたところの、人類の純粹記憶を表象してゐるのであらう。夢に魘えて夜泣きをする幼兒の聲ほど、生命の或る神祕的な恐怖と戰慄とを、哀切に氣味わるく感じさせるものはない。たしかに彼等の幼兒は、夢の中で魑魅魍魎に取り圍まれ、人類の遠い先祖が經驗した、言説しがたく恐ろしいこと、危險なことを體驗し、生命の脅かされたスリルを味はつてゐるのである。夢を性慾の表象とし、それによつて夢判斷をするフロイド流の心理學者は、すくなくともその同じ原理によつて、赤兒の夢を判斷し得ない。夢の起源は、彼等の學者が思惟するよりは、もつとミステリアスな詩人の表象と關聯してゐる。
[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年七月創元社刊のアフォリズム集「港にて」の「個人と社會」の冒頭にある「1 夢」の七番目、前掲の「夢の誤謬」の次に配されている。下線部は底本では傍点「ヽ」。最後のフロイト批判は頗る説得力があるように私には思われる。なお、ユングの人類共通の原初的な集合的無意識という元型仮説は、一九二一年の代表作「心理学的類型」(「タイプ論」「元型論」とも訳される)で公にされている。]
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