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2013/03/07

時計 萩原朔太郎 (初出形及び決定稿「定本靑猫」版)

 

 

 時計

 

古いさびしい空家の中で

 

椅子が茫然として居るではないか。

 

その上に腰をかけて

 

編物をしてゐる娘もなく

 

暖爐に坐る黑猫の姿も見えない。

 

白いがらんどうの家の中で

 

私は物悲しい夢を見ながら

 

古風な柱時計のほどけて行く

 

錆びたぜんまいの響を聽いた。

 

 じぼあん・じやん! じぼあん・じやん!

 

古いさびしい空家の中で

 

昔の戀人の寫眞を見てゐた。

 

どこにも思ひ出す記憶がなく

 

洋燈(らんぷ)の黃色い光の影で

 

かなしい情傷だけがたゞつてゐた。

 

私は椅子の上にまどろみながら

 

遠い人氣のない廊下の向うを

 

幽靈のやうにほごれてくる

 

柱時計の錆びついた響を聽いた。

 

 じぼあん・じやん! じぼあん・じやん! 

 

[やぶちゃん注:底本は筑摩版全集初版に拠った。『若草』第四巻第十二号(昭和三(一九二八)年十二月号)所載。後の「新潮社版 現代詩人全集 萩原朔太郎集」の所収され、「定本靑猫」の決定稿で知られる「時計」の初出形である。下線部「ぜんまい」は底本では傍点「ヽ」。「ほごれてくる」は、縺れたり、固まったりしたものが溶けて離れてくること。「解(ほど)ける」と同義。なお、「新潮社版 現代詩人全集 萩原朔太郎集」では、「白いがらんどうの家の中で」が「白いがらんどう家の中で」となっているが、単なる脱字であろう。]

 

 

 時計

 

古いさびしい空家の中で

 

椅子が茫然として居るではないか。

 

その上に腰をかけて

 

編物をしてゐる娘もなく

 

煖爐に坐る黑猫の姿も見えない

 

白いがらんどうの家の中で

 

私は物悲しい夢を見ながら

 

古風な柱時計のほどけて行く

 

錆びたぜんまいの響を聽いた。

 

じぼ・あん・じやん! じぼ・あん・じやん!

 

古いさびしい空家の中で

 

昔の戀人の寫眞を見てゐた。

 

どこにも思ひ出す記憶がなく

 

洋燈(らんぷ)の黃色い光の影で

 

かなしい情熱だけが漂つてゐた。

 

私は椅子の上にまどろみながら

 

遠い人氣(ひとけ)のない廊下の向うを

 

幽靈のやうにほごれてくる

 

柱時計の錆びついた響を聽いた。

 

じぼ・あん・じやん! じぼ・あん・じやん! 

 

[やぶちゃん注:「定本靑猫」(昭和一一(一九三六)年版畫莊刊)所収のもの。私は生理的に初出を断然、支持したい。――何故かって? 私にとっては、忘れられた柱時計の音は決して「じぼ・あん・じやん!」――ではなく――「じぼあん・じやん!」であるからだ――

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