フォト

カテゴリー

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 20250201_082049
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の Pierre Bonnard に拠る全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

無料ブログはココログ

« 鬼城句集 春之部 鶸 | トップページ | 假面の上の草 大手拓次 »

2013/03/29

詩人の稱呼 萩原朔太郎

       詩人の稱呼

 

 詩人の稱呼は決定的である。なぜなら眞の天質的の詩人は、韻文以外の何を書いても、その文學の一切が皆必然的の詩になつてゐるから。反對に似而非の詩人は、韻文を書いてさへも、形體(フオルム)以外の意味に於ては、眞の詩になつてゐないから。――詩人と韻文作家との區別は、素因的に決定されてるものである。

 

[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年創元社刊のアフォリズム集「港にて」の冒頭パート「詩と文學 1 詩――詩人」の十四番目、先に示した「詩人と詩作家」の直後に配されたものである。ここまで読んできてくれた私の稀有の親しい読者の数人は、私がこれらの引用で主に何を意識しているか、既にお分かりであろう。――芥川龍之介――である。朔太郎は畏友芥川龍之介のことを「詩を熱情してゐる小説家である。」「詩が、芥川君の藝術にあるとは思はれない。それは時に、最も氣の利いた詩的の表現、詩的構想をもつてゐる。だが無機物である。生命としての靈魂がない。」と公言して憚らなかった。その前後の頗る忘れ難い印象的な複数のシークエンスを我々は萩原朔太郎の「芥川龍之介の死」の中に見出す。特にその「11」から「13」である(私は「13」の朔太郎と龍之介の最後のショットを確かに実見したという不思議な錯誤記憶さえあるのである)。リンク先は私の電子テクストである。]

« 鬼城句集 春之部 鶸 | トップページ | 假面の上の草 大手拓次 »