詩人の稱呼 萩原朔太郎
詩人の稱呼
詩人の稱呼は決定的である。なぜなら眞の天質的の詩人は、韻文以外の何を書いても、その文學の一切が皆必然的の詩になつてゐるから。反對に似而非の詩人は、韻文を書いてさへも、形體(フオルム)以外の意味に於ては、眞の詩になつてゐないから。――詩人と韻文作家との區別は、素因的に決定されてるものである。
[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年創元社刊のアフォリズム集「港にて」の冒頭パート「詩と文學 1 詩――詩人」の十四番目、先に示した「詩人と詩作家」の直後に配されたものである。ここまで読んできてくれた私の稀有の親しい読者の数人は、私がこれらの引用で主に何を意識しているか、既にお分かりであろう。――芥川龍之介――である。朔太郎は畏友芥川龍之介のことを「詩を熱情してゐる小説家である。」「詩が、芥川君の藝術にあるとは思はれない。それは時に、最も氣の利いた詩的の表現、詩的構想をもつてゐる。だが無機物である。生命としての靈魂がない。」と公言して憚らなかった。その前後の頗る忘れ難い印象的な複数のシークエンスを我々は萩原朔太郎の「芥川龍之介の死」の中に見出す。特にその「11」から「13」である(私は「13」の朔太郎と龍之介の最後のショットを確かに実見したという不思議な錯誤記憶さえあるのである)。リンク先は私の電子テクストである。]