耳嚢 巻之六 しやくり奇藥の事
しやくり奇藥の事
美濃の枝柿(えだがき)の蔕(へた)を水一盃(いつぱい)にて煎じ用ゆれば、即座にとまる事妙なり。予が許へ來る牧野雲玄病家(びやうか)に、老人にて久々煩ひ候(さふらふ)て、しやくり出、殊外(ことのほか)こまり候故、加減の藥を用ひ一旦止りけれど、兎角時々其(その)憂ひありしに、或日岩本家へ至り右の咄しをなしけるに、岩本の老人、氣逆(きぎやく)には、みの柿の蔕を洗(あらひ)し湯を用ひて度々奇功ある事を咄し、到來獻殘(けんざん)の蔕を貯置(たくはへおき)し由にて與へける故、早速煎じ用ひしに、立所(たちどころ)に止りぬとかたりし故、予も右柿蔕貯(たくはへ)の儀申付(まうしつけ)ぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:感じさせない。本巻に特に多い民間医薬シリーズの一。「川口漢方薬局」の「第44話 しゃっくりと柿の蔕、漢方の話」に(改行を省略した)、『病院の紹介で、しゃっくりに柿の蔕が効くから漢方薬屋さんで買ってきてのみなさいと言われたという方が時々いらっしゃいます。通常のしゃっくりは、放置しておいても自然に治りますが、繰り返したりひどいしゃっくりが長時間続く場合は、日常の生活にも困りますのできちんと治療した方が良いです。西洋医学的には、脳、心臓、気管、食道、胃などの様々な病気が原因でしゃっくりが出るとされていて、制吐剤や抗けいれん剤などが効果があります。しかし、慢性疾患で他の薬物を使用していたりする場合、安全性の面からも良い方法ではない場合が多いのです。ですから、お医者さんも柿の蔕を勧めることが多いのです。柿の蔕だけを使用しても一定の効果がありますが、体質や症状を考慮しているわけではありませんから、根治は無理なことが多いですし、しゃっくり以外の症状が軽減されることも期待できません』とあって、何と現在でも正規の医師が公に勧めている事実が分かる。以下を読んでゆくと。調剤名は「柿蒂湯(していとう)」「丁香柿蒂湯(ちょうこうしていとう)」などと呼称していることが分かる。柿の蔕に丁香(クローブ)や生姜を配合するようである。
・「枝柿」吊るし柿。戦国の昔から美濃地方の名産品である。
・「牧野雲玄」不詳。ここまでの「耳嚢」には登場していない。名前とシチュエーションから医師に間違いないが、どうも、内科漢方系には弱そうだ。専門は外科医かも知れぬ。
・「岩本家」不詳。ここまでの「耳嚢」には岩本姓は登場していない。それにしてもかくも読者が知れることのように姓のみ出すというのは、当時のお武家としては、かなり有名な人物(「獻殘」という語を用いる以上は大名か旗本か)でなくてはなるまい。識者の御教授を乞うものである。
・「氣逆」しゃっくり。吃逆(きつぎゃく)。
・「獻殘」底本の鈴木氏注に、『武士または町人などが大名に献上した品物を、特定の商人(献残屋という)に払下げ、商人はまた献上用の品として売る、その品物を』いう、とある。謂わば、大名が受けた贈答品の内、不用のものや使いきれないで多量に残ったものをリサイクルするシステムである。但し、鈴木氏は続けて、『鰹節のように保存のきく品物が多い。なおこの文章は柿を献残といっているが単に到来品の意味であろう』と記しておられる。確かに、蔕をとってしまっては献残品には使い回せない。痒いところに手の届く納得の注である。
■やぶちゃん現代語訳
しゃくりの奇薬の事
執拗(しゅうね)きしゃっくりの場合、美濃名産の吊るし柿の蔕(へた)一枚に対し、水一杯を加え、これを煎じ用いれば、即座に止まること絶妙で御座る。
私の元へ参る牧野雲玄と申す医師、ある主治として御座ったさる病人――老人にて永患い致いて御座った者なるが――ある折りより、しゃっくりが出始め、これ、止まらずなったによって、殊の外、困って御座ったゆえ、一般に用いるところの薬を適宜、調剤致いては処方致いたところが、これ、一旦は止ったものの、その後も、しばしばぶり返して、これ、衰えた病人には辛き煩いの種で御座った。
ところが、ある日、牧野殿、かの岩本家を訪ねた際、このしゃっくりの難儀の話しを致いたところ、岩本の御老人曰く、
「……御医者なる貴殿に申すもなんでは御座るが……気逆(きぎゃく)には、これ、美濃の吊るし柿の蔕を洗った湯(ゆう)を用いて、これ、度々、奇効の御座ったぞ。……」
と話した上、
「……そのため、他よりもろうた到来品の柿の蔕、これ、貯え置いて御座れば、少しお分け致そう。……」
とて、雲玄、頂戴致いて、早速に煎じて、かの老病人へ用いたところ……
「――いや! これ、たちどころに、執拗(しゅうね)きしゃっくり――これ、止まって御座った!。」
と雲玄殿が語って御座った。
なれば、私もかの柿の蔕、これ、貯えおくの儀、家の者に申し付けておるので御座る。

