一言芳談 一二七
一二七
法然上人御往生の後、三井寺の住心房に夢の中に、とはれても、阿彌陀佛はまたく風情(ふぜい)もなし。ただ申すなりと、上人こたへ給ひけり。
〇三井寺の住心房、寺法師にて往生の心ざしふかかりしゆゑ、夢の中に、法然上人にあひ奉りて、念佛の申し樣を問はれし時の御返事なり。
[やぶちゃん注:特異な夢記述のエピグラムである。所謂、聖書の預言者たちのような黙示録的夢幻の一句である。
「住心房」Ⅱの大橋氏注に、『天台の阿闍梨覚顕。右内弁葉室行隆の息にして信空の兄ともいう』とされ、「一枚起請文梗概聞書」下にも「三井寺の住心房と申す學生ひじり」と見える、とある。しかし、調べてみると、平安時代後期の公卿であった藤原季仲の子に園城寺阿闍梨覚顕の名を記す資料、また、現在の京都市上京区にある廬山寺(現在は天台宗系の圓浄宗単立寺院)を、寛元三(一二四五)年に現在の船岡山の麓で復興した人物として、法然上人に帰依した住心房覚瑜(かくゆ)なる僧名を見出せる。これらの一体誰がここで法然と夢に逢った人物なのであろう? 識者の御教授を乞うものである。
「とはれても」住心房が夢の中で極楽浄土に在る故法然上人に、「阿彌陀様のご様子はどのような感じで御座るか?」と問われても、の謂いである。
「風情」これは広義の気配、様子の謂いで、「風情もなし」で、これといって変わった特別なご様子も見受けられませぬ、の謂い。]