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2013/03/09

耳嚢 巻之六 武勇實談の事

 武勇實談の事

 戰國治(をさま)りて太平に成(なり)候頃迄長生(ちやうせい)せし老人、〔此老人の名も聞きしが思ひ忘れたり、糺(ただし)の上追(おつ)て申聞(まうしきけ)んと川尻子(し)言(いひ)ぬ。〕集會雜談の節、年若き輩、戰場に出て功をなさん事を狂じ語りければ、彼(かの)老人笑ひて、夫(それ)は大き成(なる)了簡違(ちがひ)、我等は數度戰場(いくさば)にも出(いで)けるが、中々恐ろしくて、兼ての心懸けは出來ぬものなり、我等或日軍さに、伏勢(ふせぜい)の中に組入(くみいれ)られて草高き林の内に埋伏(まいふく)なせしが、其時の心には、哀れ敵此道をば過(すぎ)ざれかし、遙かに馬煙(うまけむ)り見ゆる頃は、彌(いよいよ)恐敷(おそろしく)、此度の合戰濟(すみ)候はゞ武士をもやめ候程に思ひしが、敵兵通り過(すぐ)る頃、合圖有之候(これありさふらふ)て打出るに至り候ては、左程怖敷(おそろしく)も思わず、味方の馬に蹈(ふま)れ打物に當りて討死の數に加はるも有(あり)しが、其期(ご)に至りては何とも思はず、籠城にも數度かゝりしが、是もふたゝび武士には成間敷(なるまじき)と思ひ詰(つめ)し事もありしが、戰散(いくさちり)し後は、又止(や)め候(さふらふ)氣も失せぬと、語りし由。左も有べき實情の物語りと、聞しまゝ記しぬ。彼老人の物語りに、我憶(おく)したる心底ゆゑ、かくもあるべしと思われんが、其節同輩のもの、何れも同樣なりしと、語りぬ。

□やぶちゃん注
○前項連関:感じさせない。久々の、まさに題名通りの強烈なリアリズムを持った武辺譚である。
・「〔此老人の名も聞きしが思ひ忘れたり、糺の上追て申聞んと川尻子言ぬ。〕」は珍しい本文の割注である。なお、「申聞ん」を「まうしきけん」と訓じたが、これはカ行下一段活用の動詞「申し聞ける」(現在使用されるサ行下一段動詞「申し聞かせる」と同義)の未然形「申し聞け」に意志の助動詞「む」がついた「申し聞けむ」である。岩波版で長谷川氏も『申聞(きけ)ん』と読んでおられる。「川尻子」は恐らく、後の「古佛畫の事」に出る川尻春之はるのであろう。当該項の注を参照されたい。

・「憶」底本では右に『(臆)』と正字注を附す。

■やぶちゃん現代語訳

 武勇実談の事

 戦国の世が治まり、太平の世になって御座る頃まで長生致いておった、さる老人〔根岸割注:「この老人の名も訊きおいたので御座るが、失念致いたによって、仔細を再度質いた上、おって御報告致す。」とは、本話の話者である川尻氏の言である。〕、とある集まりにて雜談致いた折り、中におった年若き輩が、
「戦場に出でて功をなしたいものじゃ!」
といったことを、頻りに熱く語って御座ったところが、かの老人、軽く笑(わろ)うて、
「……それは、大いなる了簡違い。……我らは数度、戦場(いくさば)にも出でて御座ったが……なかなか。……恐ろしゅうて、かねての猛き心懸けなんどは……実際には奮い立たすこと、これ、出来ぬもので御座る。……
……例えば……我ら、ある日の戦さに、伏せ勢(ぜい)の中(なか)に組み入れられ、草深き林の内に埋伏(まいふく)致いて御座ったが、その時の心持ちにては、
『……ああっ! どうか! 敵の! この道をば過ぐること! これ、御座らぬように!……』
と深く念じ……遙かに馬煙(うまけむ)りの見えた頃には……もう、いよいよ恐しゅうなって、
『……この度(たび)の合戦だに済み申した上は……我ら……武士をも、やめんとぞ思う!……』
とまで決して御座った。……
……が……
……敵兵が通り過ぐる頃、合図のこれあり候うて、鬨上げて打ち出でた、その瞬時には……これ、さほど……怖しいとも感ずることのぅ……
……味方の馬に踏まれたり……
……同胞の打ち物に当たって、これ、惨めな討ち死にの……
……無益なる数に加わった朋輩も……これ、多く御座ったれど……
……その期(ご)に至っては……
……これ、恐ろしいとも哀れとも……
……何とも……
……思わず御座った、の……
……さても……おぞましく苦しき籠城をも、これ、幾度か致いたが……
……この折りも、
『二度とは武士には、これ、なるまい!』
と、その都度、思いつめたこと、これやはり、御座った。……
……が……
……戦さが散(さん)じた後(のち)は……これまた……武士をやめんとぞ思う気持ちも、これ、とんと、失せて御座ったよ。……」
と、語ったと申す。

 以上は、さもあらんと感ずるところの、実情の物語りと、私川尻氏より聞きしままに記したものである。
「……かの老人のあまりにも生々しき物語りに、我ら、気後れ致いて……その心底ゆえ、かくも、もの凄きものと感じ申したのであろうかとも思われはしまするが……その折り、同座致いて御座った朋輩の者も……これ、何れも、老人の話の終わった後は……同様に押し黙ってしもうて、御座いました。……」
と、川尻氏は最後に言い添えて御座ったことも記しおくことと致す。

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