詩人と詩作家 萩原朔太郎
詩人と詩作家
小説家にとつて、文學は職業であり、食ふための仕事でもある。だが詩人にとつて、文學は職業でなく、いかなる生計的の仕事でもない。なぜなら詩の使命は、文學をかかる俗事の上に、純粹な創作として、眞の表現を意志することにあるのだから。詩人は所謂「作家」ではない。詩人は三年に一度、もしくは十年に一度、一篇の薄い詩集を書けば好いのである。或は全く、一筋の本すら出さないで好いのである。絶えず不斷に勉強して、毎日詩を書くといふ如き人物は、そのビヂネス的な心がけからして、既に本質的の詩人ではない。生涯に一度、二篇の善い詩をかいた人は、詩精神を失はない限りに於て、死後迄も尚永遠の詩人である。數千篇の詩を作り、孜々として詩壇的に活躍し乍ら、眞の詩精神を持たないやうな「詩作家」が、いかに現代の詩壇に多いことぞ。詩を進歩せしめるものは詩人のみ。詩作家ではないのである。
[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年創元社刊のアフォリズム集「港にて」の冒頭パート「詩と文學 1 詩――詩人」の十三番目、先に示した「醜は凡庸に優る」の直後に配されたものである。「孜孜」は「しし」と読み、熱心に努め励むさま。]