暦の亡魂 萩原朔太郎 (第一書房版「萩原朔太郎詩集」版)
曆の亡魂
薄暮のさびしい部屋の中で
わたしのあふむ時計はこはれてしまつた
感情のねぢは錆びてぜんまいもぐたらくに解けてしまつた
こんな古ぼけた曆をみて
どうして宿命のめぐりあふ曆數をかぞへよう
いつといふこともない
ぼろぼろになつた憂鬱の鞄をさげて
明朝(あした)は港の方へでも出かけて行かう。
さうして海岸のけむつた柳のかげで
首無(くびな)し船のちらほらと往き通(か)ふ帆でもながめてゐよう
あるひは波止場の垣にもたれて
乞食共のする砂利場の賭博(ばくち)でもながめてゐよう
どこへ行かうといふ國の船もなく
これといふ仕事や職業もありはしない。
まづしい黑鴉の猫のやうに
よぼよぼとしてよろめきながら歩いてゐる
さうして芥燒場(ごみやきば)の泥土(でいど)にぬりこめられた
このひとのやうなものは
忘れた曆の亡魂だらうよ。
[やぶちゃん注:筑摩版全集第二巻の七二~七三頁に載る、第一書房版「萩原朔太郎詩集」(昭和三(一九二八)年三月刊)を底本として編者によって補正された箇所を同巻末の校異を元に復元した第一書房版「萩原朔太郎詩集」に所収する実際の「曆の亡魂」である。「あうむ」「ぜんまい」の下線は底本では傍点「ヽ」。]