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2013/03/09

生物學講話 丘淺次郎 第八章 団体生活 二 社會~(3)/ 了

 以上二、三の例でもわかる通り、動物の社會にもさまざまの程度のものがあるが、蜂や蟻で見る如き完全な社會は如何にして生じたかと考へるに、比較的小さな群集が數多く相 竝んで存在して絶えず劇しく競爭したと假定すると、その結果として必ずかやうな完結した社會が出來上がるべき筈である。群集と群集とが相戰ふときには、協力一致する性質の少しでも優つた方が勝つ見込みが多く、特に味方のためには命も惜しまぬものの集まりと、危難に遇へば友を捨てて逃げ去るものの集まりとが相對する場合には、前者の勝つべきは勿論であるから、これらの性質の優れた群集が常に勝つて生存し、その弱つた群集は絶えず敗けて滅亡し、年月の重なる間には益々これらの性質が進歩して、終に今日の蜂や蟻の社會に見る如き程度まで發達したのであらう。されば蟻の勉強も蜂の勇氣も共に生存に必要なる性質として、自然淘汰の結果、次第次第に進み來つたもので、一個體を標準として見ると損になる場合が屢々あるが、その屬する團體を標準として見ると、無論極めて有功である。即ち蟻の擧國一致も、蜂の義勇奉公も、實は團體が食つて産んで死ぬために必要なことで、種族生存の目的からいへば「山荒し」が棘を立て、「スカンク」が臭氣を放つのと同じ役に立つて居る。たゞ同一の目的を達するために、それぞれ異なった手段を採つて居るといふに過ぎぬ。

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