生物學講話 丘淺次郎 第八章 団体生活 二 社會~(2)
身體の互に連續して居る動物の群體では、上に述べた如き團體的生活が完全に行はれるのが當り前のやうに思はれるが、個體が一個一個相離れて居る動物にも理想的の團體生活を營んで居るものがある。昆蟲の中の蜜蜂・蟻・白蟻などはその著しい例であるが、これらに於いても、各個體がたゞ自己の屬する團體の維持と繁榮とのためにのみ力を盡す點は、身體の連續した群體に比しても少しも相違はない。かやうな個體の集まりを社會又は國と名づける。蜜蜂でも蟻でも白蟻でも、數千數萬もしくは數十萬の個體が、力を協せて共同の巣を造り、餌を集めるにも敵を防ぐにも常に一致して活動する。外へ出て餌を求めるものは朝から晩まで出歩いて熱心に勉強し、獲られるだけは集めて來るが、これは無論自身一個のためではない。また巣の内に留まつて、子を育てるものは、或は幼蟲に餌を食はせたり、蛹を温い處へ移したりして一刻も休んでは居ない。蜂や蟻の卵から出た幼蟲は小さな蛆のやうなもので、足もなく眼も見えず捨てて置いては到底獨で生活は出來ぬから、係(かゝり)の者が毎日その口に滋養物を入れて廻る必要があつて、これを育てるにはなかなか手數が掛る。また敵を防ぐに當つては、各個體は始から命を捨てる覺悟で居る。蟻も蜂も腹の後端に鋭い針を備へ、且一種の酸を分泌して針で注射するから、刺されると頗る痛いが、蜜蜂などが他のものを刺すと、針は相手の傷口に折れ込み根元からちぎれるから、一度敵を刺した蜂は腹の後部に大きな傷口が出來て、そのため命を落すに至る。しかし、自身の死ぬことによつて、自身の屬する社會を敵から防ぐことに幾分かでも貢獻することが出來る場合には、蟻や蜂は少しも躊躇せず直に難に赴いて命を捨てるのである。徴兵忌避者の多い人間の社會に比べては實に愛國心が理想の程度まで發達して居る如くに見えるが、これが皆その蟲の持つて生まれた本能の働である。
[鳥類の共同の巣] [やぶちゃん注:本図は底本の刷りが非常に薄いため、国立国会図書館蔵の大正一五(一九二六)年版の図を同ホームページより挿絵のみトリミングして転載した。【2014年1月4日上図正式追補・国立国会図書館使用許諾済(許諾通知番号国図電1301044-1-5703号)】]
動物の中には澤山の個體が集まつて多少共同の生活を營みながら、蟻や蜂程に完結した社會を造るには至らぬものが幾らもある。アフリカの或る地方に産する鳥類の一種に、八百疋乃至千疋も集まつて樹木の上に共同の屋根を造り、その下に一組づつで巣を拵へるものがある。但しこれは風雨に對して巣を守るために力を協せるだけで、一疋が危險に遇うた場合に他のものがこれを助けるといふまでには至らぬ。されば、「共和政治鳥」といふ俗稱が附けてはあるが、大統領を選擧して政治を委ねるらしい形跡は見えぬ。また前に例に擧げた「あざらし」などは、多數集まつて働いて居るときには、必ず番をする役のものがあつて、危險の虞があれば、直に扁たい尾で水面を打つて相圖をすると、その響を聞いて皆殘らず水中へ飛び込んでしまふ。かやうな團體は已に多少の組織が具はつて、事實互に相助けて居るから、最早社會といふ名を冠らせても宜しからう。「をつとせい」や「あしか」などが、多數岸に上つて眠る場合にもこれと同樣のことをする。野牛の團體に就いては前にも述べたが、象の如きも群れをなして森の中を進むときには、必ず強い牡が周圍を警護し、牝や子供は中央の安全な處を歩かせる。猿の類には猩々〔オランウータン〕などの如く、夫婦と子供とで一家族を造つて生活して居るものもあるが、また多數集まつて群居して居る場合には、無論或る程度までは協力一致して働くが、個體の間には必ずしも爭鬪がないわけではなく、かしこでもこゝでも小さな爭は絶えず行はれて居る。猿の群では、その中で最も力の強く最も牙の大きな牡が大將となつて總勢を指揮し、強制的に全部を一致させて居るが、猿の程度の群集には生活上この仕組みが却つて目的に適うて居るやうに思はれる。
[「ひひ」が石を投げる]
[「ひひ」の類は口吻が突出ゐるので横から見れば顏の形やや犬に似てゐて鋭い牙がる。常に岩石等の上に群居し盛に石を投げて敵を防ぐがから容易に近づかれない。圖に示すのはアフリカ産の一種である。]
[やぶちゃん注:本図は底本の刷りが非常に薄いため、国立国会図書館蔵の大正一五(一九二六)年版の図を同ホームページより挿絵のみトリミングして転載した。【2014年1月4日上図正式追補・国立国会図書館使用許諾済(許諾通知番号国図電1301044-1-5703号)】]
[やぶちゃん注:「共和政治鳥」とはスズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科スズメ科スズメハタオリ亜科
Philetairus(フィレタイルス)属シャカイハタオリ
Philetairus socius(英名“Sociable Weaver”)を指している。英名の「社会性のある織工」や、その訳語の和名は、草などを編んで巨大な傘のような共同巣を集団で営巣することに由来する。ボツワナ・ナミビア・南アフリカに分布し、全長約一四センチメートル、体重約二五グラム。昆虫や種子を餌とする。背面と翼は黒っぽい色をしており、尻は淡黄色、背面と頸や翼には鱗のような模様があって尾羽は黒色。下面は淡黄色がかった白色、冠羽は薄い茶色、顎は黒い。顔は仮面をつけたような模様があり、嘴は青みがかった灰色。眼は暗褐色。脚と足は青灰色である(♀♂は外見が似、幼鳥は成鳥と比べて色がくすんで顔は黒くなく嘴は薄い茶色)。群居性が強い種で、繁殖においては独特の数百羽にも及ぶ驚くべきコロニーを形成する。♀は二~六個の卵を産卵して二週間ほど抱卵、雛は雌雄両方で世話をする。孵化後、幼鳥は十六日間程度で羽毛が生えそろう(以上の記載は主に「鳥類動画図鑑」(但し、本種の動画はない)の「シャカイハタオリ」に拠った。巨大な共同巣と本種の動画は“Birds Build Huge Communal Nests in Desert”をご覧あれ)。なお、似たような造巣をし、名も酷似するスズメ上科ハタオリドリ科 Ploceidae に属する一群(実際に伝統的な旧分類ではPhiletairus 属もこちらに入っていた)は、主にサハラ砂漠以南のアフリカに棲息する(一部南アジアや東南アジア棲息し、南北アメリカにも外来種として棲息)ので、丘先生のイメージの範疇にはこれらも含まれていたはずである。荒俣宏氏の「世界大博物図鑑4 鳥類」(平凡社一九八七年刊)の「ハタオリドリ」の項には、シャカイハタオリの
Philetairus という属名は、ギリシア語で“Philos”(愛すべき)+“etairos”(仲間)の意とあり、二百~三百もの『つがいが一緒になって巨大な共同巣をつくる習性に由来する』とする。その巣は『小さな木に一見巨大な傘を思わせる共同巣をつくる』が、この巣、下側に設けられた入口は、ちゃんとつがい毎に別々となっているとあり、それは先に示した動画でも確認出来る。
『「あざらし」などは、多數集まつて働いて居るときには、必ず番をする役のものがあつて……』の部分は講談社学術文庫版では「あざらし」は『海狸(ビーバー)』とある。「あざらし」でもおかしくはないが、「多數集まつて働いて居るとき」「扁たい尾で水面を打つ」「その響を聞いて皆殘らず水中へ飛び込んでしまふ」というシークエンスの叙述からは、ビーバーの方が確かにしっくりくるように思われ、ここは初版の誤りがずっと踏襲された可能性が高いように感じられるのである。そもそも後文で『「をつとせい」や「あしか」などが、多數岸に上つて眠る場合にもこれと同樣のことをする』というのは、ここが「あざらし」では、屋上屋の感が拭えないからでもある。同等ではなく、より古形的な齧歯(ネズミ)目のビーバーを挙げてこそ意味があると考えるからでもある。
「圖に示すのはアフリカ産の一種である」〈図のキャプション〉これは図から見ても霊長目直鼻猿亜目狭鼻下目オナガザル上科オナガザル科オナガザル亜科ヒヒ属マントヒヒ Papio hamadryas であろう。それにしても、丘先生の挿絵の選び方は、後代のヴィジュアル・クレーターの先駆者であった大伴昌司も真っ青ではないか! この絵は「少年マガジン」の図解の一齣と偽っても、皆、信ずること、請け合い!]