生物學講話 丘淺次郎 第八章 団体生活 三 分業と進歩~(2)
個人的に……こういう図……ぶるっとくるぐらい……僕は大好きなんである。……
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[くだくらげ]
(イ)浮子の役を務める個體
(ロ)運動を司どる固體[やぶちゃん注:「固」はママ。]
(ハ)食物を食ふ個體
(ニ)群體の中軸
(ホ、ヘ)保護する固體の蔭に隱れた食物を食ふ個體[やぶちゃん注:「固體」はママ。]
(ト)生殖を司どる個體
(チ)保護する個體
(リ)食物を食ふ個體
(ヌ)保護する個體の蔭に物を食ふ個體の隱れた所
(ル)保護する個體
(ヲ)食物を食ふ個體
(ワ)觸手の絲
群體内で個體の間に分業の行はれて居る最も著しい例は、恐らく「くだくらげ」と名づける動物であろう。これもその構造は、あたかも數多くの「ヒドラ」を束にした如きものであるが、分業の結果各個體の形狀に著しい相違が生じ、すべてが相集まつて初めて一疋の動物を成せるかの如くに見える。すべて「くだくらげ」の類は群體を成したまゝで海面に浮んで居るが、その中軸として一本の伸縮自在の絲を具へ、これに、「ヒドラ」の如き構造の個體が列をなして附著して居るものが多い。そしてこの數多い個體の間には殆ど極度までに分業が行はれ、各個體は自身の分擔する職務のみを專門に務め、そのため各々特殊の形狀を呈して、中にはその一個體なることがわからぬ程に變形して居るものさへある。まづ中軸なる絲の上端の處には、内に瓦斯を含んだ嚢があつて浮子の役を務めて居るが、丁寧に調べて見ると、これも一疋の個體であつて全群體を浮かすことだけを自分の職務とし、それに應じた形狀を具へて他の作用は一切務めぬ。次に透明な硝子の鐘の如きものが數個竝んで居るが、生きて居るときはこの鐘が皆「くらげ」の傘の如くに伸縮して水を噴き、その反動によっつて全群體を游がせる。尤も一定の方向に進行せしめるわけではなく、單に同じ處に止まらぬといふだけであるが、浮游性の餌を求めるには、これだけでも大いに效能がある。それから下の部には、木の葉の如き形のものが處々に見えるが、これは他の個體を自分の蔭に蔽ひ隱して保護することを專門の務とする。前の鐘形の物と同じく、これも各々が一個體であつて、その發生を調べると、始め「ヒドラ」と同じ形のものが、次第に變形して終にかやうになったのである。木の葉の形の物の蔭から延び出て居るのは、食物を食ふことを專門とする個體で、形狀はまづ「ヒドラ」と同じく圓筒形で、その一端に口を具へて居る。但し「ヒドラ」とは違つて口の周圍に觸手がない。さすが食ふことを專門とするだけあつて、極めて大きく口を開くことが出來て、時とすると恰も朝顏の花の開いた如き形にもなる。またこれに交つて指のやうな形で口のない個體があるが、これは物に觸れて感ずることを務める。その傍からは一本長い絲が垂れて居るが、これは即ち伸縮自在の觸手であつて、その先には敵を刺すための微細な武器が塊になつて附いて居る。「くだくらげ」に烈しく刺すものの多いのはそのためである。この類は水中で觸手を長く伸し、浮游して居る動物に觸れると、この武器を用ゐて麻醉粘著せしめ、觸手を縮めて物を食ふ個體の口の處まで近づけてやるのである。その外、別に生殖のみを司どる個體が處々に塊つて居るが、これは大小の粒の集まりで、恰も葡萄の房の如くに見える。「くだくらげ」の一群體はかやうに種々雜多に變形した個體の集まりで、各種の個體は生活作用の一部づつを分擔し、餌を捕へる者はたゞ捕へるのみで、これを食ふ者に渡し、食ふ者はたゞ食ふだけで、餌が口の傍に達するまで待つて居る。浮く者は浮くだけ游ぐ者は游ぐだけの役目を引き受けて、他の仕事は何もせず、木の葉の形した個體の如きは、單に他のものに隱れ場所を與へるだけで、殆ど何らの生活作用をもなさぬ。各個體の構造が皆一方にのみ偏して居る有樣は、これを人間に移したならば、恰も口と消化器のみ發達して、手も足もない者、手だけが大きくて他の體部の悉く小さな者、眼だけが無暗に大きな者、生殖器のみが發達して胴も頭も小さな者といふ如き畸形者ばかりを紐で珠數繫ぎにした如くであるが、これが全部力を協せると何の不自由もなしに都合よく生活が出來るのである。
[やぶちゃん注:「くだくらげ」ここで丘先生が挙げている種は刺胞動物門ヒドロ虫綱クダクラゲ目 Siphonophora の中でも、気胞体・泳鐘・保護葉を総て持っている点から、胞泳(ヨウラククラゲ)亜目 Physonectae に属する種を指している。胞泳亜目 Physonectae にはヨウラククラゲ科 Agalmidae やバレンクラゲ科 Phrysophoridae など数科に別れるが、中でもここで示された図の形状からみるとヨウラククラゲ科のシダレザクラクラゲ
Nanomia bijuga(もしくはその近縁種)を示したもののように推測される。ウィキの「ヨウラククラゲ」(これは内容的には科レベルでの記載と読んだ)には、『その体は複数の個虫が役割を分担するポリプの群体から成り、カツオノエボシの様な管クラゲである。「ヨウラク」の由来は仏壇の飾りの「瓔珞」に似ている事からという説と、揺れて落ちることを意味する「揺落」からの二説ある』とあり、日本の太平洋岸に分布する暖海性外洋性の『透明な棒状の形のクラゲである。長さは一三センチメートル、幅三センチメートルを越えるものも。頂端に小気泡体のある橙黄色の幹から泳鐘が左右二列で数十個連なり、十二角柱型。伸びると、側枝には刺胞叢と八~九回巻いた赤色の刺胞帯がある触手が外に長く垂れる。体はとても脆く、手で触れると泳鐘は簡単にバラバラになる』(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)とあり、私が拘る『しかし、体は脆いとはいえ、カツオノエボシに匹敵する刺胞毒が強い種もいるので、本来は触るべきでない』危険動物指示がしっかりと示されているのが何より嬉しい。なお、代表的なヨウラククラゲ
Agalma okenii に同定しなかった理由は、例えばTBSブリタニカ二〇〇〇年刊の並河洋「クラゲ ガイドブック」のヨウラククラゲの記載によれば、Agalma okenii の泳鐘部と栄養部の大きさはほぼ同じ長さ(栄養部がやや太い)で、泳鐘部は二列に並んだ十個の泳鐘が互いに重なり合って十二角柱となっているとあり、その付属写真をみても図の形状とはかなり異なるからである。対するシダレザクラクラゲ
Nanomia bijuga の写真は、その群体が頗る細長い。更に同記載には二列の泳鐘が十個以上見られ、その下には泳鐘部の数倍の長さになる栄養部が枝垂桜の枝のような姿形で続いている、とあって本図ともよく一致するからである(同種の分布は本州中部以南沿岸とある)。]