耳嚢 巻之六 作佛祟の事
作佛祟の事
文化元年の夏、或人來りて語りけるは、御先手(おさきて)能勢(のせ)甚四郎組(ぐみ)與力の内なる由、名も聞しが忘れぬ、庭を作らせけるとや、又井を掘らせけるとやせしに、佛像を掘出(ほりいだ)せしとて、彼(かの)職人あるじに見せける故洗ひ淸め見れば、いかにも能(よき)細工の地藏なり、しかるに、かの主人はかたのごとくかたまり法花宗故、甚不喜(はなはだよろこばず)、いかゞなすべきと、其(その)筋心得し僧俗に見せしに、是は作人(さくにん)はしれねども、いづれ知識の作佛也、大切になし給へと申けるに、主人心よからず、工夫して右を日蓮の立像になさばしかるべしとて、出入の鍛冶(かぢ)へ賴(たのみ)、手に持(もち)し寶珠釋杖(しやくぢやう)をとり除(のき)くれ候やう賴けれど、彼鍛冶も作物と知りて斷りいなみければ、詮方なく、やすりを借り持(もち)歸りて、自身(おのづ)と寶珠釋杖をすり除(の)け、日蓮の像に似たるやう持(もち)成し、堀の内とかやへ持參して開眼などなしけるが、右故にもあるまじけれど、當番に出(いで)し時俄(にはか)に亂心して、色々右の事を申(まうし)、譫言(うはごと)のみ申ける故、早々宿へ歸し段々保養療養を加へしに、むら氣は直りしが、此程はおし同樣、もの言ふ事ならずとなり。
□やぶちゃん注
○前項連関:陰徳の報恩というポジティヴな綺譚から、恐ろしき地蔵像(地蔵菩薩が祟ったのでは、これ、おかしかろう。これは地蔵像の中に潜む、あるまがまがしい何ものかと捉えねばならぬ。だからあくまで「地蔵ではなく「地蔵像」とせねばならぬ)の祟りというネガティヴな呪い話で軽く連関すると言えるか。久々のホラーである(しばしば言われることであるが、一部で怪談集として喧伝されている「耳嚢」には、実は本格怪談は思いの外少ない)が、どうもこれはラストの統合失調症様の妄想多語から緘黙という怪異を描くことより、根岸が大嫌いな「かたまり法花宗」――ファンダメンタル日蓮宗宗徒の、地蔵を日蓮像に勝手に作り替えるという救いようのない悪逆非道の行為を嘲笑することに力が割かれているように思われる。
・「文化元年の夏」「卷之六」の執筆推定下限は文化元(一八〇四)年七月であるから、直近のホットな、しかも公務員の自宅で起きた典型的な怪奇都市伝説(アーバン・レジェンド)である。
・「能勢甚四郎」底本の鈴木氏注で能勢頼護(よりもり)とし、寛政五(一七九三)年御徒頭、とある。
・「甚不喜」日蓮宗では地蔵菩薩を本尊とすることさえ多く、このように地蔵像を軽んずる傾向はない。この風変わりな頑固男自身の好き嫌いであるように思われる。
・「知識」善知識。仏法を説いて導く指導者。名僧。
・「釋杖」底本には右に『(錫杖)』の訂正傍注がある。
・「とり除(のき)くれ候やう」長谷川強氏は岩波版で「除(のぞき)」と訓じておられるが、私は後文に「すり除け」とあって、こちらは「のけ」としか読めず、ここも「のき」と読みを振った。
・「堀の内」東京都杉並区堀ノ内にある日蓮宗本山である日円山妙法寺のこと。ウィキの「妙法寺」に、『初めは碑文谷法華寺の末寺となったが』、元禄一一(一六九八)年、『碑文谷法華寺は不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け、改宗を余儀なされ、身延久遠寺の末寺となった。このころ碑文谷法華寺にあった祖師像を譲り受ける。日蓮の祖師像が厄除けに利益(りやく)があるということで、江戸時代より多くの人々から信仰を集めている』とあって、元は、かの不受不施派ではないか。私がファンダメンタルと書いた謂いが真正にズバり当たっていたという訳である。
■やぶちゃん現代語訳
仏像の祟りの事
先日、今年文化元年の夏のこと、ある御仁が私の元を訪ねて参って語った話。
御先手(おさきて)組頭、能勢(のせ)甚四郎頼護(よりもり)殿御支配の与力のうちの一人である由。名も聞いたが、失念致いたとのこと。
かの者、自邸にて――庭を作らせたか、はたまた、井戸を掘らせたか、その辺りは定かでは御座らぬが――職人を呼び入れて作業をさせて御座ったところ、
「……こんなものを、掘り出だいて御座る。」
と、その人夫が主人(あるじ)に見せた。
――これ、土くれがついた、ごろんとした、こけしのようなもので御座ったと申す。
洗い清めさせて、よう見てみれば、これ、如何にも、よき細工の地蔵菩薩の像で御座った。
然るに、この主人(あるじ)は、鋳型に嵌め抜いたような、ガチガチの金丸(かなまり)法華宗で御座ったゆえ、甚だ不興にて、
「……こんなもの……どうして呉れようか。……」
と、仏像に詳しい、その筋を心得ておる、知り人の僧俗なんどに見せたところが、
「……いやいや、これは作者は分からねど、何(いず)れ、善知識の作仏にて御座ることは、これ、明らかじゃ! 大切になさるるがよいぞ!」
と言われて御座ったが、それでも石部金吉コンコンチキの主人(あるじ)、これ、心よからず思うこと頻りにて、
「……これは一つ、なんぞ工夫を加えて、このつまらぬ地蔵を、日蓮上人さまの御立像(おんりつぞう)になさば、これ、よいことじゃ!」
と思い至り、出入りの鍛冶屋(かじや)へ持ち込んで、
「――この像の、手に持ったる寶珠(ほうじゅ)と錫杖(しゃくじょう)を、取り除(の)いて貰いたい。」
と頼んだと申す。
ところが、その鍛冶屋も、一目見て、これ、ただものにては御座らぬ、崇高なる作物(さくもつ)と見抜いたによって、店頭にて即座に断ったと申す。
されば、石頭主人(いしあたまあるじ)、詮方なく、鍛冶屋より鑢(やすり)を借りて持ち帰ると、自身にて、寶珠と釋杖をすり除(のぞ)き、さらにやはり手ずから、日蓮の像に似たように、面相・衣服・持物(じぶつ)に至るまで細部を徹底的に改造致いた上、檀家で御座った堀の内の妙法寺とかへ持ち込み、開眼(かいげん)供養なんどまで致いたと申す。
かようなおぞましき仕儀を致いたゆえ――と申すわけにても、御座るまいが……
かの者、御徒組当番として出仕致いた折り――これ、俄かに乱心致いて、色々と、件(くだん)の改造日蓮元地蔵の像につき、譫言(うわごと)のような、よう分からぬことを口走り始めたによって、御支配の能勢様より、
「早々に宿へ帰せ。」
とのお達しを受けたと申す。……
そのまま暫く、自邸にて保養致し、また、療治なんどをも加えて御座ったが……
……その後は……
……最初の喋くりまくる、気違い染みた発作は、これ、直ったとは申すものの……
――今は
……全く以って……
……唖(おし)同様の緘黙と、相い成り……
……一言も、これ、ものを言うことも出来ずなっておる……との由。
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