一言芳談 一一〇
一一〇
敬蓮社(きやうれんじや)云、いかに發(おこす)とも、行業(ぎやうごふ)などをば、二重三重(ふたへみへ)ひきさげて行ふべきなり。心をば上手(うはて)になして、行業を下手(したて)になすべき也。
〇いかに發す、心はいさむとも、身をかへりみてつとめずば、懈(けたい)の因緣なるべしとの心か。
〇心を上手になしてとは、願心(ぐはんしん)を常に上手にして行をひきたつるやうにとの心なり。(句解)
[やぶちゃん注:Ⅰは「發す」を「發(おこ)る」とするが、Ⅱ・Ⅲに拠りながら「る」の送り仮名を出した。
「敬蓮社」「五十六」に既出。再録する。正治元(一一九九)年~弘安四(一二八一)年又は弘安八(一二八五)年)敬蓮社入西。入阿。長州の人。初め、成覚房について一念義を学び、十二歳の時、健保二(一二一四)年に真如堂で聖覚上人の説法を聞き、俄然、一念義を捨てて鎮西に走り、聖光上人(弁長)の門弟となった。三十六歳の頃には鎌倉に入って教化に勤めている。弁長滅後は彼の伝記も録している。「蓮社」というのは浄土門で用いる法号の一種で、中国廬山の東晋の名僧慧遠(えおん 三三四年~四一六年)が在家信者らとともに結成した念仏結社白蓮社に因んだもの。
「發る」発心する。悟りを得ようとする菩提心を起こすこと。
「行業」身業・口業・意業の三業(さんごう:身・口・心による種々の行為)の働きによる、あらゆる仏道修行のことを指す。
「下手」この場合は、特に目立たないこと、地味なことを言うのであろう。逆説的に言えば、一見すると菩提心がそれほどでもないように見える程度の、見た目、熱心でないと思われるような三業(さんごう)。それこそが望ましい、というのである。心は高く持って、世間体は嘲笑されるようなものであるのが肝要である、と敬蓮社は言うのである。「五十六」で敬蓮社は「日來(ひごろ)後世の心あるものも、學問などしつれば、大旨(おほむね)は無道心になる事にてあるなり」と喝破した。それが遠くここで鮮やかに響き合う。Ⅰでは「五十六」が「學問」に、これがそのすぐ後ろの「用心」に配され、その間は十一項ほどしかないが、やはりⅠの分類学的編集は曲者である。何故ならそこでは――古典的生物分類学がヒトという本来は他と変わらない惨めな種が自身を征服者として特別視するために理性内でヒト以外の生物を虫ピンで留めて満足していたのと同じく――読者は読みながら、知らず知らずのうちに新しい分類項目に入ると、無意識に脳内の「一言芳談」という薬味箪笥の「学問」の引き出しを閉じてしまい、別な「用心」の引き出しに変えてしまう傾向が顕著にあるからである(その方が分かったように振る舞うには便利であるから)。私には今――この「一言芳談抄校註」の〈智の分類〉という行為そのものが何よりも実は反「一言芳談」的な愚劣な智の作業であったのだ――ということが、はっきりと分かった気がするのである。]