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2013/03/11

耳嚢 巻之六 疵を直す奇油の事

 疵を直す奇油の事

 

 木挽町(こびきちやう)に西良忠といへる外科(がいりやう)あり。彼(かの)ものは、予が許へも來りぬ。小兒などのいさゝかの怪我はいふにも不及(およばず)、瑾瘡(きんさう)類も、まづ綿にてひたせし油藥を附るに、其功いちじるし。其事を心易(こころやすき)ものへ良忠かたりけるは、去る諸侯の奧へ療治に至り、早速快氣の功ありし後、彼病人全快を悦び、年久しく貯へ置く油藥あり、用にもたつべくは、用ひ見らるべしとて給りぬ、依之(これによつて)瑾瘡其外に試(こころみ)るに即功の妙あれば、今に貯へて其功を得たり、良忠は老人なるが、悴が代までは用ひ相成るべし、其後は此藥たえもせんが、法をしらざればせんかたなしと語りぬ。良忠も今存生(ぞんじやう)なり、悴も年若なれば、永く療治をなすべし。彼者の家にかゝる藥ある事しらば、ひとつは益あるべき事と、爰に記しぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:金瘡(刀傷、切り傷。「瑾瘡」は同義)の妙油薬二連発。時に……私は何かの古い記載の中で、人間(死罪となったものなどの遺体から採取する)の脂を用いた油薬の話を読んだことがある。この薬も狐どころか……なんどという想像を逞しくしてしまう私がいる……

・「木挽町」東京都中央区銀座にあった旧町名。木挽き職人が多く住んだことに由来する。江戸時代の劇場街でもあり、現在も歌舞伎座があり、歌舞伎座の通称を現在も木挽町と言う。木挽き職人ならば、これ、金瘡とも縁がある。

・「西良忠」不詳。ここまでは登場したことがない。気になるのは「心易ものへ良忠かたりけるは」の部分で、彼は根岸宅へのも出入りするが、以上の油薬の由縁は根岸が直接聴いたものではない点である。彼は必ずしも根岸と親密ではなかったということか。それとも、実は親密で本話も根岸が直接西から聴取し、後年の倅の代まで繁昌することを狙って根岸が意図的に伝聞として書いたものか。何となく後半部の如何に歯の浮いたような書きざまを見ると(根岸らしくないなんだか迂遠な言い回しであるように私は感じる)、そんな臭いがぷんぷんしてくるぞ。

・「用ひ見らるべし」底本「用ひ見らべし」。訂した。脱字とも、「見(みら)るべし」の書写の誤りとも考えられる。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 疵を治す奇(く)しき油(あぶら)の事

 

 銀座は木挽町に西良忠という外科がおる。彼の者は私の元へも出入りして御座った。

 実見致いた限りでは、子どものちょっとした怪我は言うに及ばず、刃物などの切り傷にも、ただ、綿に浸した伝家の油薬(あぶらぐすり)を貼り附けただけで、これ、効能著しいもので御座った。

 その薬に纏わる話として、気安くして御座る知音(ちいん)に良忠自身が話したことには、

 「……ある諸侯の奥向きへ療治に参った際、たまたま、施術するや、瞬く間に全快致いたしたことが、これ、御座ったが、病人、この予想だにせぬ全快をいたく悦び、

『――実は、当家に於いて長年蓄え置いておる油薬が、これ、ある。貴殿の療治の役に立つと思うなら、一つ、用いてみらるるがよかろう。』

との仰せによって賜わって御座ったが、この薬で御座った。

 されば刀や刃物傷その外の外用薬として治験致いて御座ったところが、これ、即効の妙なれば、こうして現在も貯えて、かくも絶妙の治療効果を得て御座る。

 拙者良忠は老齢で御座るが、倅の代までは、これ、使用致すに足るだけの分量は未だ御座るが、さても、その後は、この薬も底を尽きましょう。

 ……はい?……いや、残念ながら製法は存ぜぬゆえ……こればかりは、致し方のう御座る。……」

と述懐致いたと申す。

 但し、文化元年七月現在、良忠は健在である。

 倅も未だ年若なれば、二世良忠を継いでも、これ、長く療治に従事致すことと存ずる。

 さても、かの西良忠が医家に、そのような特効薬があることが広く知られておれば、これ、大いなる益(えき)ともならんと思い、ここに記しおくことと致いた。

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