恐ろしく憂鬱なる 萩原朔太郎 (初出形)
恐ろしく憂鬱なる
こんもりとした森の木立のなかで
いちめんに白い蝶類が飛んでゐる
むらがる、むらがりて飛びめぐるてふ、てふ、てふ、てふ
みどりの葉のあつぼつたい隙間から
ぴか、ぴか、ぴか、ぴかと光る そのちいさな鋭どいつばさ
いつぱいに群がつてとびめぐるてふ、てふ、てふ、てふ、てふ、てふ、てふ、てふ、てふ、 てふ、てふ、てふ
ああ これはなんといふ憂欝なまぼろしだ
このおもたい手足おもたい心臟
かぎりなくなやましい物質と物質との重なり
ああ これはなんといふ美しい病氣だ
疲れはてたる神經のなまめかしいたそがれどきだ
私はみる、ここに女たちの投げ出したおもたい手足を
つかれはてた股(もも)や乳房のなまめかしい重たさを
その鮮血のやうなくちびるはここにかしこに
私の靑ざめた屍體のくちびるに、額に、かみに、かみのけに、ももに、胯に、腋のしたに、足くびに、あしのうらに、みぎの腕にも、ひだりの腕にも、腹のうへにも押しあひて息ぐるしく重なりあふ
むらがりむらがる物質と物質との淫猥なるかたまり
ここにかしこに追ひみだれたる蝶のまつくろの集團
ああ この恐ろしい地上の陰影
このなまめかしいまぼろしの森の中に
しだいにひろがつてゆく憂欝の日かげをみつめる
その私の心はぢたばたと羽ばたきして
小鳥の死ぬるときの醜いすがたのやうだ
ああこのたえがたく腦ましい性の感覺
あまりに恐ろしく憂欝なる。
詩中平假名にて書きたる「てふてふ」は
文字通り「て、ふ、て、ふ」と發音して
讀まれたし「チヨーチヨー」と讀まれて
は困る。
[やぶちゃん注:『感情』第二年五月号・大正六(一九一七)年五月号所収。底本(筑摩版全集第一巻一四九頁)では五行目の「隙間」の「隙」の(つくり)上部は「少」。その他はママ。最後の注記は底本ではポイント落ち。二箇所の下線部は底本では傍点「ヽ」。標題のみ「鬱」で、本文では「欝」とある。]