一言芳談 一一七
一一七
法然上人、常の御詞(おんことば)に云く、哀(あはれ)、今度(こんど)しおほせばやなと、其時、乘願房申さく、上人だにもか樣(やう)に不定(ふぢやう)げなる仰(おほせ)の候はんには、まして其余(そのよ)の人はいかゞ候ふべきと。其時、上人うちわらひて、の給はく、蓮臺(れんだい)にのらんまでは、いかでか此思ひはたえ候ふべき、云々。
〇哀、今度しおほせばやなと、しおほせばやなとは極樂往生のことなり。
〇蓮臺にのらんまでは、決定往生の道理にはうたがひなけれども、まさしく其境見つくるほどの事はなきなり。西要抄に、むかへの蓮を見てこそと、いぶかしさをのこされければとある、これなり。くはしくは諺注にしるしたれば見るべし。
[やぶちゃん注:法然の言葉は実に爽やかな風の匂いがするようだ――微かな蓮の花の香りをのせた……
本篇本文はⅠに拠らず、Ⅲに拠った。Ⅰでは法然の語録を意図的に集中させた「安心」の分類項の二番目に配されて、冒頭も「又云、あはれ此度しおほせばやなと」と大きく異なっているからである(但し、以下に見る通り、Ⅰの方が法然の直話の原形に近いものとは判断される)。標註の引用部もここでは変えた。
「御詞」Ⅱの大橋氏注に、「法然上人行状絵図」の第十一、「和語燈録」巻五、「閑亭後世物語」巻上にもある旨の記載がある。「和語燈録」とは道光(望西楼了慧)の編になる法然の遺文・消息・法語などを集成した、文永一一(一二七四)年から翌年にかけて成立した「黒谷上人語燈録」全十八巻の内、中下巻(十一巻以降)の和語(一巻から十巻までは漢語)で書かれたものを指す。法然滅後六十余年の時期において法然の遺文等定本化を図り、教義や信仰上の準拠たらしめんとしたものである(「和語燈録」部分は平凡社「世界大百科事典」に拠る)。「閑亭後世物語」は隆寛(久安四(一一四八)年~安貞元(一二二八)年)の書いた法然の伝記。「和語燈録」には(ネット上のテクストを正字化して示す)、
ある時又の給はく、あはれこのたびしおほせばやなと。
その時、乘願申さく、上人だにもかやうに不定げなるおほせの候はんには、ましてその余の人はいかが候へきと。
その時上人うちわらひての給はく、蓮臺にのらんまでは、いかでかこのおもひはたえ候べきと。
但し、末尾に「閑亭問答集よりいでたり」と割注があるから、これ自体が「閑亭後世物語」辺りから引いて来たものらしい。
「今度しおほせばやな」今度こそしっかりと極楽往生をし遂(おお)せたいものだなぁ。
「西要抄」向阿証賢(こうあしょうけん)が元亨年間(一三二一年~一三二四年)に書いた「三部仮名鈔」(総称)を構成する「帰命本願鈔」(三巻)・「西要鈔」(二巻)・「父子相迎」(二巻)の一つ。和文で浄土宗の教義を説く。
「諺注」は「げんちゆう(げんちゅう)」と読み、俗語による注釈のこと。当時の現代語による注釈の意であろう。「西要鈔諺注」は実はⅠの「標注増補一言芳談抄」の作者湛澄によるもの。これ、自己の著作の宣伝である。]
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