一言芳談 一一一
一一一
敬佛房云、同朋を呵(か)して云、おのれは荷籠負(かごをい)の足(あし)ためんずるものなり。
〇同朋、同法ともかくなり。おなじく宿する弟子等なり。
〇足ためんずるもの、たはめんとする事也。則揉の字。ひきつくろひ、よろしくして、かご負(をは)んとせしを呵するなり。(句解)
[やぶちゃん注:「呵して」叱って。
「おのれは荷籠負の足ためんずるものなり」少なくとも私には意味を採り難い。大橋氏は、『そなたたちはかごを背負いながら、まだ負いたりないのか、足だめししている(重荷を負ったうえにもなお荷を負うようなことをしている)』と訳されておられる。修行のいらぬ工夫という意味で、修行者の荷籠への執着を一喝するという、ここまでの「一言芳談」的世界では納得出来る内容ではある。が、私は、この『かご』は『実際/実在の籠』であって、同時にまた、『実際/実在の籠』ではないようにも思われるのである。目に見えぬ『籠』である。現世に生きるという大いなる修行者も避け得ぬ、如何なる衆生も背負わねばならぬ煩悩、『業の籠』なのではあるまいか? 逆説的に、これ以上の往生の因縁となる(煩悩や業がなければ、そもそも往生を祈念する必要がない。往生決定であるからである。さればこそ障害こそが実は往生の因縁であると私は思うのである)ものを、
――お前たちは、なおも背負いたいと思うのか! 馬鹿どもが!
と敬仏房は言っているように私には思えるのである。]

