鬼城句集 春之部 人事
人事
治聾酒 治聾酒の醉ほどもなくさめにけり
治聾酒や靜かに飮んでうまかつし
[やぶちゃん注:「治聾酒」「ぢろうしゆ(じ
ろうしゅ)」と読む。春の社日(立春から数
えて五番目の、春分に最も近い戊戌(つち
のえいぬ)の日に当たる)に土地の神に供
える酒を言い、この日に酒を飲むと耳の不具
合が治るという。「大辞泉」の例文はこの鬼
城の冒頭の句である。御承知のことと思われ
るが、鬼城は耳が不自由であった(若年期の後
天的な耳の疾患によるものらしい)。]
畑打 小男や足鍬(えんぐは)踏みこむ二押三押
[やぶちゃん注:「足」を「えん」と読むのは
不詳。識者の御教授を乞うものである。]
先祖代々打ち枯らしたる畑かな
畑打のよき馬持ちて踏ませけり
目刺 束修の二把の目刺に師弟かな
[やぶちゃん注:「束修」は「束脩」の誤りで
あろう。「束脩」は「そくしう(そくしゅ
う)」と読み、古く中国で師に入門する際の
贈物とした束ねた干し肉のことで、転じて、
諸師匠に入門する際の持参する謝礼を言う。]
目刺あぶりて賴みある仲の二人かな
種蒔 種蒔いて暖き雨を聽く夜かな
種蒔や繩引き合へる山畑
寒食 寒食や冷飯腹のすいて鳴る
[やぶちゃん注:「寒食」は「かんじき」また
は「かんしよく」と読み、冬至から一〇五
日目の節気。古代中国の習慣で、この日は
火気を用いずに冷たい食事をしたことによ
る。由来ははっきりしないがこの時期は風
雨が激しいことから火災を防ぐためとも、
また、一度火を断って新しい火で春を呼び
込む再生儀礼とも言われる。]
北窓開く 北窓をこぢ放しけり鷄の中
凧 谷間に凧の小さくあがりけり
大凧や草の戸越の雲中語
初午 初午や神主もして小百姓
初午や枯木二本の御ン社
雛 蕎麥打つて雛も三月五日かな
雛の間やひたとたて切る女夫事
春の灯 思ひわづらふことあり
春の灯や搔きたつうれどもまた暗し
摘草 摘草や帶引きまはす前後ろ
摘草や苽市たちて二三軒
[やぶちゃん注:「苽」はマコモのことだが、
これは「笊市」(ざるいち)の誤植ではあ
るまいか。]
芋植うる 芋種の古き俵をこぼれけり
芋植ゑて土きせにけり一つ一つ
[やぶちゃん注:底本では「一つ一つ」の後
半は踊り字「〱」。]
芋植えゑて梶原屋敷掘られけり
[やぶちゃん注:これを鎌倉の吟とするペー
ジを見かけたが、梶原景時の所領は相模国
一宮(現在の寒川町)や初沢城(現在の八
王子市初沢町)などにもあって梶原屋敷と
呼称する場所は他にも多く、同定する根拠
に疑問がある。]
櫻餠 たんと食うてよき子孕みね櫻餠
踏靑 靑を踏む放參の僧二人かな
[やぶちゃん注:「踏靑」は「たふせい(とう
せい)」と読む。中国で清明節前後(四月五
日前後)に郊外へと遊んだことを言った。
春の青草を踏んで遊ぶから、春の野遊びの
意となった。「放參」は「はうさん(ほうさ
ん)」と読み、禅寺で夜の参禅から修行僧を
放免することを言う。]
藪入 藪入に交りて市を歩きけり
針供養 山里や男も遊ぶ針供養
干鱈 干鱈あぶりてほろほろと酒の醉に居る
[やぶちゃん注:底本では「ほろほろ」の後
半は踊り字「〱」。]
彼岸 虎溪山の僧まゐりたる彼岸かな
[やぶちゃん注:「虎溪山」は岐阜県多治見市
にある臨済宗南禅寺派の寺虎渓山永保寺
(こけいざんえいほうじ)のこと。]
野燒 野を燒くや風曇りする榛名山
野を燒くやぼつんぽつんと雨到る
[やぶちゃん注:底本では「ぼつんぽつん」
の後半は踊り字「〱」。]
接木 壁に題して主人を誹る接木かな
接木してふぐり見られし不興かな
柿の木に梯子をかける接木かな
節分 思ひ出して豆撒きにけり一軒家
草餠 草餠に燒印もがな草の庵
菊根分 妹が垣伏見の小菊根分けり
菊根分呉山の雪の覺束な
[やぶちゃん注:「呉山の雪」は南宋の魏慶之
撰「詩人玉屑(ぎょくせつ)」に採られてい
る唐代の詩僧釈可士(かし)の「僧を送る」
という詩の一節「笠重呉天雪 鞋香楚地花」
(笠は重し呉天(ごてん)の雪 鞋(あい)
は香ばし楚地(そぢ)の花」という漢詩が元
で、「呉天」は呉の地方の空の意。禅語とし
て良く取り上げられるが、後に謡曲「葛城」
で、シテの里の女(実は葛城の女神)とワキ
の山伏が「笠はおもし呉天の雪
靴は香ばし
楚地の花」と謠うことで人口に膾炙し(観世
流では「呉天」をまさに「呉山」と謠う)、
芭蕉も「夜着は重し呉天に雪を見るあらん」
と詠んでいる。]
野遊 野遊や餘所にも見ゆる頰冠
茶摘 茶畑に葭簀かけたる薄日かな
ねもごろに一ト本の茶を摘みにけり
鷄合 鬪鷄の眼つぶれて飼はれけり
鬪鷄の蹴上げ蹴おろす羽風かな