一言芳談 一二一
一二一
聖光(しやうくわう)上人云、辨阿(べんあ)は、助け給へ、阿彌陀佛と心にも思ひ、口にもいふなり。
〇辨阿、聖光上人なり。
〇助け給へ、云決答、先師定言云、助給阿彌陀佛、云々。或時、予示云、凡諸佛習、有最要一言。善導本願往生、惠心困明直辨也。辨阿助給阿彌陀佛心思口云也。實哉、此言。賢哉、此心。仰顧先師口決、落涙千行也、云々。助給思、滅罪邊籠、生善邊收。出離方寵、往生方收。本願至心信樂、彌无疑殆者歟。
[やぶちゃん注:漢文の句読点は一部、Ⅰに従っていない箇所がある。
「聖光上人」「三十三」に既注。浄土宗鎮西派(現在の浄土宗)の祖弁長。弁阿は字、聖光は房号。現在は「べんな」と読んでいるが、これは後の音の転訛であろう。
「云決答……」以下の漢文をⅠの訓点を参考に私なりの書き下し文を示す。
「決答」に云ふ、『先師の定言(ぢやうげん)に云はく、「助け給へ、阿彌陀佛。」と云々。或る時、予に示して云はく、「凡そ諸佛の習ひ、最要(さいえう)の一言(いちごん)有り。善導は『本願往生』、惠心は『困明直辨(こんめいじきべん)』なり。辨阿は『助け給へ、阿彌陀佛』と心に思ひ、口に云ふなり。實なるかな、此の言。賢なるかな、此の心。仰いで先師の口決を顧(かへりみ)るに落涙千行なり。」と云々。「助け給へ」と思へば、滅罪の邊(へん)も籠(こも)り、生善(しやうぜん)の邊も收(をさ)まる。出離の方も寵り、往生の方も收まる。本願の至心信樂(ししんしんげう)、彌々(いよいよ)疑殆(ぎたい)無きをや。』と。
因みにⅡの注(訓読文で示されている)では、「凡そ諸佛の習ひ」の「諸佛」を「諸師」とする(Ⅱが正しいか。恐らくは原典「決答授手印疑問鈔」が「諸佛」であるので、森下氏が訂したものであろう。意味上では問題はない)。
●「決答」聖光の法嗣であった良忠の記した「決答授手印疑問鈔」(正嘉元(一二五七)年)のことであろう。
●「困明直辨」不詳。「困明」は混迷と同義で、「混乱して分別に迷ったただ中で素直に語る」という謂いか。識者の御教授を乞う。
●「本願の至心信樂」「至心信樂」は真心を以って仏を信じ願うという意で、これは浄土教の根本命題とするところの彌陀の四十八誓願第十八誓願(本願)中の言葉である。
●「疑殆」疑いあやぶむこと。]