一言芳談 一二五
一二五
又云、凡(およそ)、淨土宗の元意(ぐわんい)、助け給へ、阿彌陀佛と思ふにすぎず。
○淨土宗の元意、願文(がんもん)の安心は三心なり。觀經の三心は彌陀經の一心なり。その一心は助け給への一念なり。
[やぶちゃん注:「一二六」に続く念阿良忠の言葉。極めて明快にして核心の教学である。
「願文」は弥陀の誓願の第十八誓願のことであろう。念仏往生の願・選択本願・本願三心の願・至心信楽の願・往相信心の願などとも言う。
設我得佛。十方衆生。至心信樂。欲生我國。乃至十念。若不生者。不取正覺。唯除五逆誹謗正法。
設(たと)ひ我、佛を得たらんに、十方の衆生、至心に信樂して、我が國に生まれんと欲(おも)ひて、乃至(ないし)十念せん。若し生まれずは、正覺を取らじ。唯だ、五逆と正法を誹謗せんを除く。
「安心は三心」前の「一二四」の私の注を参照のこと。
「觀經」狭義に「観無量寿経」を指す場合もあるが、以下に「彌陀經の一心」とあるから(「阿弥陀経」は「観無量寿経」とは別物である)ここは単に経を読む、看経(かんきん)の謂いであろう。
「彌陀經」「仏説阿弥陀経」のことであろう。釈尊自らが説いた経。
「一心」「一心不乱」のことであろう。「仏説阿弥陀経」に、
若有善男子善女人聞説阿彌陀佛執持名號。若一日若二日若三日若四日若五日若六日若七日。一心不亂。其人臨命終時。阿彌陀佛與諸聖衆現在其前。是人終時心不顚倒。即得往生阿彌陀佛極樂國土。
若し善男子善女人有りて、阿彌陀佛を説くを聞きて、名號を執持(しつじ)すること、若しは一日、若しは二日、若しは三日、若しは四日、若しは五日、若しは六日、若しは七日、一心不亂ならば、其の人、命終の時に臨み、阿彌陀佛、諸聖衆と與(とも)に現じ、其の前に在らん、是れ、人、終はる時、心、顚倒せずして、即ち、阿彌陀の極樂國土に往生するを得ん。
とある。]