一言芳談 一二八
一二八
然阿上人云、別時(べつじ)まではなくとも、六時禮讃(ろくじらいさん)の次(ついで)の念佛、心すまさむ時なんどは、別に用心して見佛の思ひに住すべし云々。
〇別時まではなくとも、念佛者に三種の行儀といふことあり。其内の別事といふは潔齋して念佛申す事なり。
〇見佛の思ひ、阿彌陀佛を見たてまつらんとおもふなり。
[やぶちゃん注:これは閾下ぎりぎりの「念仏」の非常に微妙な意識を述べているように思われる。私なりに訳す。
然阿良忠上人曰く、「……ことさらに別時念仏なんどまで修しようとは、これ、せんでよろしい。……型の如くに決められ、義務とさるるところの、かの六時の礼讃(らいさん)の念仏なんどではない……ちょっとした瞬間に――ふっと阿彌陀仏を心に念ずるのが――これ、よろしい。……心を清らかにしたいと思う時なんどには、特に別して心をこめ、阿彌陀仏を観想する思いの中に住んでおれば、これ、よろしいのじゃ。……」。
「別時」別時念仏。別時念仏会。註にあるように、日常的な勤行(ごんぎょう)に対して、日時を定め、身体や心を精進潔斎して念仏行に励む意識を高めて、集中的に念仏を称え続けること。
「六時禮讃」「八十五」で既に注したが再注しておく。浄土教における念仏三昧行の一つ。善導の「往生礼讃偈」に基づいて一日を六つの時に分け、誦経・念仏・礼拝を行う。参照したウィキの「六時礼讃」によれば、六時とは(最後は凡その現在時刻)、
1 日没(にちもつ) 申~酉の刻(午後 三時~午後 七時)
2 初夜(しょや) 戌~亥の刻(午後 七時~午後十一時)
3 中夜(ちゅうや)又は半夜(はんや)
子~丑の刻(午後十一時~午前 三時)
4 後夜(ごや) 寅~卯の刻(午前 三時~午前 五時)
5 晨朝(じんじょう/しんちょう)
辰~巳の刻(午前 五時~午前十一時)
6 日中(にっちゅう)午~未の刻(午前十一時~午後 三時)
を指す。『天台声明を基にした美しい旋律が特徴で、後半になるにしたがい高音の節が荘厳さを増す。現代では浄土宗、時宗、浄土真宗が法要に盛んに用いる。親鸞の正信念仏偈は六時礼讃にヒントを得て作製されたといわれる』。浄土宗では建久三(一一九二)年に『法然上人が、大和前司親盛入道見仏の招きをうけて、後白河院の追善菩提のために、八坂の引導寺において別時念仏を修したが、これを浄土宗六時礼讃の始まりと』し、「徒然草」第二二七段や「愚管抄」の記述に『よれば、浄土宗の開祖法然の門弟である安楽坊遵西が礼讃に節を付けたと言われているが、当時は定まった節とか拍子がなかったらしい』。但し、この『遵西が指導する礼讃が大衆の支持を多く得たことから、既存仏教教団の反発を招き』、建永二(一二〇七)年、『後鳥羽上皇の女房たちが遵西達に感化されて出奔同然に出家した件等の罪で、遵西は斬首され、同年の法然らに対する承元の法難(建永の法難)を招く原因ともなった』とする。なお、故事成句の『「四六時中」の語源の一説に、「四時(早晨・午時・晡時・黄昏)と六時をあわせたもの」がある』とある「晡時(ほじ)」とは日暮れ時・申の刻(現在の午後四時頃)の意。なお、前に注した「八十五」は、この節を附けた美しい旋律を忌避すべきことを述べた内容である。再読あられたい。
「念佛者に三種の行儀」尋常行儀(日常の念仏。時や場所を定めずにありのままに念仏する行)と別時行儀(別時念仏)の他に、臨終行儀(臨終に際しての念仏行)を特に分けて三種とする。]