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2013/04/21

明恵上人夢記 6

 建久七年八月、九月

一、夢に、金色の大孔雀王(だいくじやくわう)有り。二翅あり。其の身量、人身(にんじん)より大きなり。其の頭・尾、倶(とも)に雜(くさぐさ)の寶・瓔路(やうらく)を以て莊嚴(しやうごん)せり。遍身より香氣薰り滿ちて、世界に遍(あまね)し。二つの鳥、各(おのおの)、空中を遊戲飛行(ゆけひぎやう)す。瓔珞の中より微妙の大音聲(だいおんじやう)を出(いだ)し、世界に遍し。其の音聲にて、偈(げ)を説きて曰はく、「八万四千の法、對治門(たいぢもん)、皆是(みなこれ)、釋尊所説の妙法なり。」人有り、告げて曰はく、「此の鳥、常に靈鷲山(りやうじゆせん)に住み、深く無上の大乘を愛樂(あいげう)して世法(せほふ)の染著(せんちやく)を遠離(をんり)す」と云々。鳥、此の偈を説き已(をは)りし時、成辨の手に二卷の經を持つ。一卷の外題には佛眼如來(ぶつげんによらい)と書き、一卷の外題には釋迦如來と書けり。是は、彼(か)の孔雀より此の經を得たる也と思ふ。成辨、此の偈を聞く時、歡喜(くわんぎ)の心、熾盛(しじやう)也。即ち、「南無釋迦如來、南無佛眼如來」と唱へて、涙を流し感悦す。即ち二卷の經を持ちて歡喜す。夢、覺め已(をは)るに、枕の下に涙湛(たた)へりと云々。

 

[やぶちゃん注「建久七年八月、九月」このクレジット(建久七年は西暦一一九六年)は一応、「八月から九月に見た夢」の意で採る。即ち、これに続く夢記述があったがそれは現存しない(若しくは切り離されて他に移ったか、移して散逸した)と採る、ということである(実際、底本ではこのクレジットの後はこの夢一つきりで、前後にアスタリスクが附されている)。但し、本夢が明恵にとっては、この夢は生涯的にも非常に重要な夢であったと判断する私としては、実は八月及び九月に、明恵が二度か複数回、繰り返し見た夢であった可能性をも射程に入れてよいのかも知れないとも思っている。ただ、その場合(複数回の夢の場合)、この夢記述は、何度かの類似夢を意識的に再構成してしまった意識的操作夢ということにも成りかねないので、仮定に留めておく。訳では読者の違和感を排除するために、「建久七年八月か、九月の夢。」としておいた。「大孔雀王」大孔雀明王。ウィキの「孔雀明王」によれば、元来はインドの女神マハーマーユーリーで、パーンチャ・ラクシャー(五守護女神)の一柱。マハーマーユーリーは「偉大な孔雀」の意で、摩訶摩瑜利(まかまゆり)・孔雀仏母・孔雀王母菩薩・金色孔雀王とも呼ばれ、憤怒の相が特徴である明王のなかで唯一、慈悲を表した菩薩形を持つ(中の二つの呼称の母性性や慈悲菩薩相に着目したい)。孔雀の上に乗り、一面四臂の姿で表されることが多い。四本の手にはそれぞれ倶縁果・吉祥果・蓮華・孔雀の尾を持つ(なお、京都仁和寺の北宋期の画像のように三面六臂に表された像もある)。『孔雀は害虫やコブラなどの毒蛇を食べることから孔雀明王は「人々の災厄や苦痛を取り除く功徳」があるとされ信仰の対象となった。後年になると孔雀明王は毒を持つ生物を食べる=人間の煩悩の象徴である三毒(貪り・嗔り・痴行)を喰らって仏道に成就せしめる功徳がある仏という解釈が一般的になり、魔を喰らうことから大護摩に際して除魔法に孔雀明王の真言を唱える宗派も多い。また雨を予知する能力があるとされ祈雨法(雨乞い)にも用いられた』。また、伝奇小説の類いによって、この名は孔雀明王を本尊とした密教呪法である孔雀経法の方で知られており、それは歴史的にも真言密教のおどおどろしい『鎮護国家の大法と』された強力な呪法として認知されているとも言えるように思われる。また、ウィキには渡辺照宏「不動明王」(朝日新聞出版一九九一年刊)に、本明王について記す「仏母大孔雀明王経」の「仏母」+「明王」とは「明妃」(ヴィヤー・ラージニー 明王の女性形)の別訳であって、本来は陀羅尼(ダーラニー 女性名詞)であったという記載がある。これも非常に興味深い。

 ここで私が、本夢が明恵にとって重要な意味を持っていたと推定するのは、その夢内容の深い仏教的象徴性や、夢を見ている最中(若しくはその覚醒直前)に、睡眠中に明恵が感極まって実際に多量の涙を流しているという事実(末尾参照)にあるばかりではなく、この「建久七年」という時間が明恵という生の時間軸にあって極めてエポック・メーキングな瞬間とシンクロしているからである。

 即ち、この年、明恵は白上にあって自らの右耳を削ぎ落し、『自己去勢』(読者のフロイト的な単純解釈を避けるため意識的に今まで用いることを敢えて避けて来たが、これは「明惠 夢に生きる」の中で、誰あろうユング派である河合隼雄氏自身が実際に用いておられる表現である)を遂げた年であるからである。但し、この夢は「栂尾明恵上人伝記」には現われない。また、耳を削いだのが、この年の何時のことであったかは明らかになってはいない。しかし、翌日本「1」酷似文殊菩薩顕現、及び、更にその直近と思わる後日る、菩薩五十二位直喩って最上位妙覚辿り着人是を知らず。今は歸りて語らんと思ひ、又逆次に次第に踏みて十信最初信位の石の處に至つて、諸人に語るいう――これは美事なまでの往相廻向(自分の善行功徳を他者に廻らし、他者の功徳としてともに浄土に往生すること)から還相廻向(阿弥陀の本願に基づき、一度、極楽浄土へ往生したも者が、再び、衆生を救うためにこの現世に帰還すること)へと至る弥陀の本願力の再現夢である――等と並べて本夢を考える時、これは明らかに耳自截直前か直後の、いや、はっきり言うならば、本夢のふっきれたような覚悟自覚やこの上ない至福感から、確かに自截後の明恵の見た夢であると信じて疑わないのである。

「二翅あり」これは「二羽」の意である。即ち、この夢に出現した大孔雀明王は一面四臂の奇異を感じさせる異形の人形(ひとがた)でも、孔雀の上に乗っているのでもなく、金色の鳥としての「孔雀」明王であり、それはまさに叙述から窺えるようにハレーションを起こさせるような、燃え盛る熾天使(セラフィム)のような、所謂、黄金に輝くように見えるところの「火の鳥」として出現するという点に着目すべきである。

「瓔路」本来はインドにおける装身具としての珠玉を連ねた首飾りや腕輪であるが、仏教では仏像を荘厳(しょうごん)するための飾りを指す。

「對治門」煩悩を退治絶滅する法門。

「靈鷲山」インドのビハール州のほぼ中央に位置するチャタ山。釈迦がここで「無量寿経」や「法華経」を説いたとされる。

「佛眼如來」仏眼仏母(ぶつげんぶつも)。明恵にとっては大日如来のことを指すと考えてよいが、明恵の意識の中で最重要の存在でもあるので、以下、ウィキの「仏眼仏母」より引用しておく。梵名ブッダローチャニー、別に眼仏母とも呼ばれる。仏教でも『特に密教で崇められる仏の一尊。真理を見つめる眼を神格化したものである。なお、所依の経典によって、大日如来所変、釈迦如来所変、金剛薩埵所変の三種類の仏眼仏母が説かれる』。『その姿は、日本では一般に装身具を身に着けた菩薩形で、喜悦微笑して法界定印の印相をとる姿に表される』。『人は真理を見つめて世の理を悟り、仏即ち「目覚めた者」となる。これを「真理を見つめる眼が仏を産む」更に「人に真理を見せて仏として生まれ変わらせる宇宙の神性」という様に擬人化して考え、仏母即ち「仏の母」としての仏眼信仰に発展した』。また、「大日経疏」では、『「諸々の仏が人々を観察し、彼らを救うために最も相応しい姿を表す」という大乗仏教の下化衆生思想に基づく解釈も行われている』。『密教においては「目を開いて仏として生まれ変わらせる」その役割から、仏像の開眼儀式でその真言が唱えられる』。『また、仏眼仏母は胎蔵界大日如来が金剛界月輪三昧という深い瞑想の境地に至った姿ととも解釈され、一字金輪仏頂とは表裏一体の関係にあるとされる。例えば、一字金輪仏頂がその輪宝で悪神を折伏するとすれば、仏眼仏母は悪神を摂受によって教え導くという。 そのため仏眼仏母の曼荼羅には必ず一字金輪仏頂も描かれ、一字金輪仏頂曼荼羅にも必ず仏眼仏母が描かれる』とある。この如来に強い母性性が前面に押し出されていることに着目したい。]

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 建久七年八月か、九月の夢。

一、夢。

 

「金色の大孔雀王(だいくじゃくおう)が顕われた。二羽の鳥であった。そのそれぞれの鳥の身の丈けは、人のそれよりも遙かに大きなものであった。その頭部と長く曳いた尾羽根は、二羽ともに、様々な七宝や瓔珞を以って荘厳(しょうごん)されていた。全身からえも言われぬかぐわしい香気が滲み出して薫り、その香りが、この衆生の存在する世界に遍く満ちているのである。二羽の鳥は、それぞれ、空中を天衣無縫自由自在に飛翔している。その身に下がった無数の瓔珞同士がぶつかり、共鳴し合っては、何とも表現のしようがない、とてつもなく大きな響き――但し、決して五月蠅い音ではなく、不思議な玄妙な大きさなのであるが――を発し、それがまたしても、この衆生の世界に遍く満ちているのである。そうしてその音声(おんじょう)が、そのまま何時の間にか、偈(げ)となっているのであった。その偈の説くところは「――八万四千のあらゆる、無数の仏法、そして、煩悩を滅する法門は、皆これ、釈尊のお説き遊ばされた妙法である。――」……

……そこに一人の人が現われる。そうして告げて言うことに、

「――この鳥は、常に霊鷲山(りょうじゅせん)に棲み、深く無上の大乗の教えを心から願い求めて、俗世の相対的でしかない愚かな掟(おきて)が、その心に穢く染み着くことから遠かに離れているのである。――」

と。……

……さて、この鳥が、この偈を説き終えた、その時、私成弁の手は二巻の経を持っていた。その一つの巻の表の経名には「仏眼如來(ぶつげんにょらい)」と書かれてあって、今一巻のそれには「釈迦如来」と書かれてあった。この瞬間、夢の中の私は、

『――かの孔雀明王より、私はこの二巻の経文を得たのだ!』

と思った。……

――因みに、私成弁は、この明王の妙なる偈を聴聞したその一刹那、歓喜(かんぎ)の心が、これ、いやさかに熾烈、盛んに燃え起こったのだ!――

……そこで私は即座に、

「南無釈迦如来! 南無仏眼如来!」

と唱えて、涙を滂沱と流し、深い幸福感とともに感じ入って喜悦した。そうして、私の堅持する二巻の経文を握って、心から歓喜した。――」

 

 夢が大団円となり、即座に醒めたが、その際、枕の下がぐっしょりと涙で濡れていたことを、今もはっきりと覚えている。

[やぶちゃん補注:本夢については河合隼雄「明惠 夢に生きる」の一三四頁に高山寺蔵の当該自筆稿が写真で所載されているが、原文は漢文体の概ね白文であるが、一部に右寄りの小さな送仮名及び字間右傍注の字(「已」)が見られる。まずは、それを可能な限り、一行字数及び字配も含めて以下に復元してみたい。崩し方が現在の新字に酷似するものはそれを採り、私が視認で判読出来ないものは■で示した。□は紙自体の欠損部と思われるところで、辛うじて「夢」と思しい字の右上方角部分が覗けるだけであって、「夢」と視認で判読出来る訳ではない(前後から「夢」の推定は出来る)。他の行との比較から言えば、その字の下に字がないとは言えず、寧ろ、例えば「ヨリ」の右寄り字等がある可能性さえ窺えるように私は思う。

 

建久七年八月 九月

 

一 有夢金之大孔雀王二翅其身量

 

 大於人身其頭尾倶以雜寶■■莊

 

 嚴從遍身香氣薰滿遍世界二鳥各

 

 遊戲飛行於空中自■■中出微妙

 

 大音聲遍世界其音聲而説偈曰

 

 八万四千法對治門皆是釋尊 所説妙法

 

 有人告曰此鳥常住靈鷲山深愛樂無

 

 上大乘遠離世法染著云々鳥説此偈

 

 成弁之手持二卷經一卷外題ニハ佛眼

 

 如來トカキ一卷之外題ニハ尺迦如來トカケリ

 

 是從彼孔雀仍此經得也思成弁

 

 此偈聞時、歡㐂心熾盛也即南無

 

 尺迦如來南無佛眼如來

 

 感悦即二卷乃經歡㐂夢□

 

 覺已枕下涙湛ヘリ云々。

この自筆画像は機会があれば河合氏の当該書で是非見て頂きたいが、明恵が記すうち、いやさかに魂が昂揚してゆくさまが手に取るように分る素敵な書である。なお、河合氏も同書一三六頁の分析の中でそのように指摘されておられる。
 河合氏はもとより、河合氏の当該書からの孫引きとなるが、この夢を自著で紹介される際、上田三四二(みよじ 大正一二(一九二三)年~平成元(一九八九)年:内科医にして歌人・小説家・文芸評論家。引用は「この世この生」(新潮社一九八四年刊)より)の、『時空を越えて明恵の身体になだれ込む夢のうち、もっとも華麗と思われるものを引く。彼はそこにおいて天竺と釈迦を一身のいま、一身のここにおいて享け、一身の透明な壺は歓喜の涙を溢れさせる』という絶妙な引用をもなさっておられる。この夢を明恵になりきって読む人は、私はまさにそうした疑似体験が可能であるとさえ思うのである。  

 まずこの夢の最初の特異点は、人身でない、ガルーダのような人面鳥身でさえない、孔雀明王の形象の至上の美しさにある。ここで我々は実際の孔雀、更にはかの手塚治虫先生の「火の鳥」のそれをイメージして、最も相応しいと言ってよい。しかし、しかも、それが孔雀仏母と別称される孔雀明王であると知った瞬間、私にはその鳥の顔の面影の中に、ふっと――私の亡き母の面影が漂ったことを告白する。これは諸星大二郎の「感情のある風景」のエンディングの、あの悲しく切なく美しい「愛」の形象図形の中にふっと浮かび出る、主人公の亡き母の面影のようなものであった、とも表現したい印象である(私の芥川龍之介「杜子春」と諸星のSFコミック作品「感情のある風景」とを比較した立ち尽くす少年 ――諸星大二郎「感情のある風景」小論を参照)。
 

 次の特異点は河合氏も真っ先に記しておられるが、「香氣薰り滿ちて、世界に遍し」という、極めて稀な嗅覚夢である点である。河合氏はこの明恵の嗅覚夢体験記述を以って、『この点でも彼の特異な能力が認められる。おそらくは彼の夢体験は一般の人に比して、はるかに現実性をそなえたものであったのだろう』と記しておられる。因みに、私は十九の時から三十年間に亙って夢記述をしてきたが、明白な臭気のする夢は、確かにそれほど多くはない(但し、一般人に比すと恐らくは有意に多い)。ただ、それらの殆んどは、堪えがたい食用油を熱した臭いが部屋に充満する夢(三十二歳の結婚直前、現在の妻のアパートに酔って転がり込んだ折りに見た夢で、これは今でも想起出来るほどに――これは今、一切の夢記録を見ずに書いている――頗る強烈な臭気記憶がある)であったり、昔の溜便所の臭い(私は結婚するまで長く家が文化式のそれであったことと、私自身が過敏性腸症候群―Irritable Bowel SyndromeIBS―であるために排泄不安に対する強いフォビアがあり、トイレの夢――それは概ね溢れていたり、詰まったりしていることが殆んどである――はしばしば見るのである。折角の荘厳な夢の補注にクサい話で恐縮ではあるが)といった、ちっとも有り難くない臭いの嗅覚夢ばかりなのであるが(嗅覚夢と、このフロイトなら即、肛門期固着と言い立てそうなトイレ夢については、いつか必ず、これとは別に夢」の中で分析してみたいと思っている。因みに、リンク先は私のブログの夢記述カテゴリである)。
 河合氏は以下、孔雀のシンボルについてローマでの神格化、アルケミーに於ける全体性などを挙げあられた上、先に注で示した「仏母大孔雀明王経」の毒蛇に咬まれた若き僧が仏母大孔雀明王陀羅尼を誦すことで救われた話を引き、孔雀と蛇――空を飛ぶものと地を這うもの――前者の有意性から、この夢の『精神性の強調』と、その『ひとつの勝利がもたらされたことを告げている』とされる。
 また、「二」羽の孔雀、「二」巻の経に着目されて、明恵の夢にしばしば登場する「二」という数の主題こそが『明恵の人生に生じた、実に多くの二元性』を表象するものとされ、私もたびたび指摘したように、明恵が仏眼を母として尊崇した事実に対し、明恵は実は『釈迦には父のイメージをもっていたようである』と推定、その名を記した二巻の経を両手に持っている明恵は、ここで『父性と母性という二元的な態度を共に一手に受けているのであ』り、『人間の心の二元性が明恵という存在に統一されている、と見ることができ』、明恵はその人生に於いて、多様な彼を取り巻く二元論的対象のいずれか一方に『偏重することなく、また二元論的割り切りを行なうのでもなく、強い葛藤をわが身に引き受け、そこに何らかの統一を見出そうとして努力してきた』、『二元論的対立のなかに身をおくことによって、その緊張によって明恵は心身を鍛えられたのである』と本夢の分析を終えておられる。正統なユング派の、実に典型的に前向きなポジティブな夢分析であるが(私はフロイトとの両極で、ユングのこうした「生きる魂の力」としての、健全で明るい解釈に対しても、実は今はある種の胡散臭さを感じている)、明恵というストイックで特異な人物の見た夢としての――謂わば作家論的解釈としては――ほぼ肯んずることが出来る。――といより――誰よりも明恵自身が、この河合氏の解釈を聴けば、必ずや――その通り!――と答えることはほぼ疑いがないと言える――ということである。]

 

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