文學の倫理性 萩原朔太郎
文學の倫理性
眞の純潔な熱情に燃え、誠心誠意に女を愛するといふことは、主觀者目身にとつてのモラルであつても、愛されてゐる者にとつては、何の道德的の恩惠でもない。むしろ對手の者は、その熱情によつて惱まされたり、迷惑されたり、壓制的に強迫されたりする。愛の證左は、單なる感情だけでなくして、愛する者によく奉仕し、勉めてその御機嫌を取り、樂しく悦ばせることの行爲によつて成立する。詩や文學やもこれに同じ。單なる感情の燃燒や、誠心誠意の純潔さや、思ひつめた一心の體當りやは、作者自身にとつて主觀上のモラルであつても、讀者にとつては、何の意味もない事柄である。詩や文學の價値づけする倫理性は、それの美しく樂しい魅力によつて、讀者を悦ばせるといふ、藝術的才能の恩惠に存するのである。
[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年創元社刊のアフォリズム集「港にて」の冒頭パート「詩と文學 1 詩――詩人」の十七番目、先に示した「文學の技巧」の直後に配されたものである。この「藝術的才能の恩惠」の部分は無論、「『藝術的』才能の『恩惠』の謂いですね? 朔太郎さん?]

