一言芳談 一四〇
一四〇
乘願上人云、善導を仰がん人は、名号よりほかのことは行ずべきにあらず。さればとて、よりこん所の善根の、念佛の障碍(しやうげ)とならざらんほどの事をば値遇結緣(ちぐけちえん)すべきなり。きらへばとて、いまいましき事の樣にはおもふべからず。行ずべければとて、念佛のいとまを入るべからず。
○よりこん所の善根、緣ありてなすべきもろもろの善事なり。一家の人などの堂をたて、佛をつくり、經をかき、僧をも供養せんにはちからを加へ、緣をむすぶべし。念佛をもさまたげず、專修もやぶれず、これ法然上人の御義なり。
○きらへばとて、餘善をきらふことはひたすら念佛せんがためなり。餘善にとがあるにはあらず。
○行ずべければとて、念佛を主人のごとくし、餘善を眷屬とすべし。
[やぶちゃん注:「乘願上人」宗源。「七十四」「一一七」「一三〇」に既出。
「よりこん所の善根の、念佛の障碍とならざらんほどの事をば値遇結緣すべきなり」「よりこん」は「寄り來ん」か「依り來る」で(私は後者を採る)、「値遇」は縁あって仏縁ある対象にめぐり逢うことであるから「結緣」とは同義的。
――依って来たるところの善い行いを成す機縁で、念仏申すことの妨げとならない程度のことである場合は、それは仏・菩薩が世の人を救うために手を差し伸べて縁を結ばんとするのであるから、善きまことの機縁として作善しても構わない――
の意。
「きらへばとて、いまいましき事の樣にはおもふべからず」直前の部分を受けて、
――だから、作善は悪しき自力の穢れであると断じて、忌み嫌い、避けて慎むべきものであると殊更に思うようなことがあってはならぬ――
の意。
「行ずべければとて、念佛のいとまを入るべからず」そうした作善の許容を受けながらも、最後には、
――だからと言って『何かやるべき、やらねばならぬ「善行」があるから』と称して、念仏を修することを、それらの行為のために費やすということは、決してあってはならないことである――
と言うのである。私は最後の一文のみが法然や乗願の眼目であると信じたい(が、残念ながら乗願にとってはそうではなかった。次の「一四一」参照)。実際には『何かやるべき、やらねばならぬ「善行」』などというものは――ない――のである。さればこそ、「標註」群はおぞましい。これらの注はあってはならぬ注であると私は確信するものである。
私のラフな推論をここで述べておきたい。相対世界に於いてしか定立し得ない善悪の二元論という矛盾を、メタな論理によって超克しようとした人物が、かつて、いた。それが伝教大師最澄であり、その論駁こそが「末法燈明記」に他ならなかったのだ。また一方、宗派としてその論理矛盾を個の悟りへと投企(捨象)することによって、超論理的解決を求めようとしたのが禅であった。しかし、それらの論理矛盾を認知していた法然は、一切衆生の救済という浄土教の核心によって、それを相対世界の無効化によって、一挙に解消しようと試みたのではなかったか? ところが、相対的なものでしかない善を否定することは、仏教の「布教」という側面では頗る都合が悪い。さればこそ、さもしい「善」を全否定することが出来なかったのである。それが例えば本条に現われるような、一見、作善を肯定する謂いとなって現われ出でた。しかし、しかもそれを「個」の問題として、どうしても突き詰めなければならなかった一人の男が、彼の弟子の中に、いた。それこそが親鸞であった。彼は自らを救い難い凡夫の中でも、さらに救い難い破戒の存在であると自覚することによって、しかもそうした自己存在をも救うものこそが、弥陀の絶対の慈悲としての本願であるという、極北に辿り着いたのである(だからこそ彼は「教行信証」の中で「末法燈明記」を延々と引用したのである)。しかしながら、それは親鸞個人の内的な叫びであって、結局、真宗教団という集団の組織化のためには、遂に個の叫びとして封印されざるを得なかったのである。所詮、衆生という存在を組織体として認めるためには、哀しい絶対の孤独な叫びとしてしか、それを吠えることは、結果、出来なかったのである、と私は思うのである。――相対的善悪の中に在ることは煩悩でありながらも、実に「そのように在る」ことが安穏であることを――知っていた。――絶対の真理という認識こそが――実は現世に於いては「見かけの絶対の孤独な無明」の中にあるのと同義にしか見えぬ――ということを――『最澄や法然や親鸞は知っていた』のだ――と私は思うのである。……これはそれこそあらゆる批判を受ける破戒の言説(ディスクール)であろう。……しかし私は確かにそう思うのである。]

