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2013/04/20

耳嚢 巻之六 妖狐道理に服從の事

 妖狐道理に服從の事

 

 八王子千人頭(せんにんがしら)の山本鐡次郎は、親友川尻が親族たり。先々(さきざき)山本妻を呼迎(よびむか)への儀、川尻の祖父世話して、荻生惣七(をぎふそうしち)娘を嫁しけるに、婚姻後、右妻に狐付(つき)候樣子にて、何か甚(はなはだ)不埒の事口走り候故、其夫是(これ)を責諫(せめいさめ)、いかなる譯を以(もつて)、呼迎へし妻に付候哉(や)と道理を解聞(とききか)せければ、其理にや伏しけん、成程退(の)き可申(まうすべし)、しかれども、我のみに無之(これなく)、江戸よりつき來りし狐もありといひし故、夫(それ)は兎(と)あれ角(かく)あれ、先づ汝のくべしと頻りにせめければ、除(のき)しと也。然れどもいまだ正氣ならねば、尚せめさとしければ、我は此女の元方より恨(うらみ)あれば、取付來(とりつききた)る也、依之難退(これによつてのきがたき)由を答ふ。山本これを聞(きき)て、何とも其意不得(えざる)事なり、江戸表より爰元(ここもと)へ嫁し來る頃より狐付たる體(てい)ならば、何ぞ嫁を許しなん、然(しから)ば離緣等いたしても、此方にて狐付(つき)たると、里方にては思ふべし、狐の付たるは、尋常に無之(これなき)もの故離緣せしと里方にて思(おもは)んも、武士道におひて難儀なり、いづれにも離れ候樣、きびしく責諭(せめさと)しければ、其理にや伏しけん、可退(のくべき)由答へけるが、山本尚考申(なほかんがへまうし)けるは、離緣後、里方へ至り、直(ぢき)に狐の付たるといふ事にては同じ事なり、右のわけをいさい證文に可認(したたむべし)と申ければ、書く事はなすべし、文言出來ざる由の答(こたへ)故、文言は可好(このむべし)とて、いさいに文言を好(このみ)、認(みとめ)させけるが、書面のみにては怪談に流れ、人の疑ひあり、狐の付居(つきゐ)たるといふ驗(しるし)なくてはと、又責諭(せめさと)しければ、印形(いんぎやう)はなければ、人間につめ印(いん)といふ事あるわけ抔説聞(とききか)せしに、手を口元へ寄せて墨をふくみ、彼(かの)書面へ押しけるが、獸(けもの)の足の先の跡のごときもの殘れり。これにてよしとて、やがて離緣狀を添(そへ)て川尻氏へ戻して、荻生家へ歸しけるとなり。惣七は徂徠が甥なるものゝ由、川尻かたりぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特になし。「耳嚢」に頻繁に出る妖狐憑依譚であるが、どうもこの話柄、如何にも超現実に「妖しい」のではなく、リアルに「怪しい」という気がする。この女、よっぽど夫が嫌だったか、若しくは予てより誓い合った男でもあったものか、狐憑きを佯狂して、流石に知識人の娘(後注参照)なればこそ、計算された美事な詐術の数々を弄して(もしかすると、彼女の親族か誰かの入れ知恵かも知れぬ)、これ、目出度く離縁に成功したという話柄ではあるまいか? そもそも真正妖狐譚となれば、娘に憑くところの深い「恨」みを探ってこそである。だいたいからして、この娘の出自の良さから考えれば、何故、狐憑きか? その狐の具体な恨みの真相は? という点を追求してこそ面白い、というものであろう。私がこの妻を本当に愛している夫であったなら、少なくともそこを必ずや、探ってやるであろうと思う。まさに、細君のために。――さすればこそ、この夫の妻への愛情も、これ、実は甚だ疑わしいと言わざるを得ない気もしてくる。――いや? 待てよ? これに似たよな話、最近、ドラマで見たぞぅ?! おお! あれあれっ! NHKの五味康祐原作ジェームス三木脚本の「薄桜記」(丹下典膳役・山本耕史、長尾千春役・柴本幸)だぜい! あれはまた、私の以上の邪推とは裏腹の、忌まわしくも実家の元家臣に手籠めにされた「愛する」妻を「救うために」狐に化かされたとして「彼女の世間体を守らんがためにのみ」離縁をするという筋だ! これもありか! おまけに根岸の筆も、言外に、そうした隠れ蓑の先にある意味深長な人間関係を、実名表示を駆使しながら、ポーカー・フェイスで綴っているようにも私には思われるのである(リンク先はNHKの公式サイトだが、既に終わったドラマであるから、閲覧は早めに。近いうちに消滅してしまう可能性が高い)。

「八王子千人頭」八王子千人同心の総統括者。八王子千人同心は江戸幕府の職制の一つで、武蔵国多摩郡八王子(現在の八王子市)に配置された郷士身分の幕臣集団で、その任務は武蔵・甲斐国境である甲州口の警備と治安維持にあった。以下、参照したウィキの「八王子千人同心」によれば、徳川家康の江戸入府に伴い、慶長五(一六〇〇)年に発足し、甲斐武田家の滅亡後に徳川氏によって庇護された武田遺臣を中心に、近在の地侍・豪農などによって組織されたものであった。甲州街道の宿場である八王子を拠点としたのは武田家遺臣を中心に甲斐方面からの侵攻に備えたためであったが、甲斐が天領に編入、太平が続いて国境警備としての役割が薄れ、承応元・慶安五(一六五二)年からは交代で家康を祀る日光東照宮を警備する日光勤番が主な仕事となっていた。江戸中期以降は文武に励むものが多く、優秀な経済官僚や昌平坂学問所で「新編武蔵風土記稿」の執筆に携わった人々(私の電子テクスト「鎌倉攬勝考」の作者植田孟縉もその一人)、天然理心流の剣士などを輩出した。千人同心の配置された多摩郡は特に徳川の庇護を受けていたので、武州多摩一帯は、同心だけでなく農民層にまで徳川恩顧の精神が強かったとされ、それが幕末に、千人同心の中から新撰組に参加するものが複数名現れるに至ったとも考えられている。十組・各百名で編成、各組には千人同心組頭が置かれ、旗本身分の八王子千人頭(本話の主人公の役職)によって統率され、槍奉行の支配を受けた。千人頭は二〇〇~五〇〇石取の旗本として、組頭は御家人として遇された。千人同心は警備を主任務とする軍事組織であり、同心たちは徳川将軍家直参の武士として禄を受け取ったが、その一方で平時は農耕に従事し、年貢も納める半士半農といった立場であった。この事から、無為徒食の普通の武士に比べて生業を持っているということで、太宰春台等の儒者からは武士の理想像として賞賛の対象となった(本話の妻が後述するように儒者の家系の出身であると思われることと一致する)。八王子の甲州街道と陣馬街道の分岐点に広大な敷地が与えられており、現在の八王子市千人町には千人頭の屋敷と千人同心の組屋敷があったといわれる。なお、寛政一二(一八〇〇)年に集団(一部が?)で北海道・胆振の勇払などに移住し、苫小牧市の基礎を作った、とある。なお、岩波版長谷川氏の注では、八王子千人同心の『その組の頭』とあって、八王子千人頭ではなく、八王子千人同心の組頭ととっておられる。識者の御教授を乞うものである。

「山本鐡次郎」wakagenoitagak氏の武田氏紹介サイト「若気の板垣」の「宗格院」(そうかくいん:東京都八王子市にある曹洞宗単立寺院で八王子千人同心所縁の寺)の紹介ページに、八王子千人同心の「山本銕次郎」なる人物の墓が写真入りで載り、その墓碑の没年は寛政九(一七九七)年三月二十四日である、とある。「卷之六」の執筆推定下限は文化元(一八〇四)年八月であるから、もし、この人物が本主人公であったとすると、恐らくはこの話自体は、それよりも更にかなり前、最低でも十数年前の出来事と推定され、ここのところ、直近の話柄が多かった「耳嚢 巻之六」の流れからは少し外れるのであるが、この話、内容からしても彼が既に故人であったればこそ記すことが出来たのだ、とも言えまいか? なお、幕末の長唄三味線方の名跡で長唄稀音家流家元初代の稀音家六四郎(きねやろくしろう 文化八(一八一一年)~明治四(一八七一)年)なる人物は、ウィキの「稀音家六四郎」によれば、『旗本の次男で本名は山本鉄次郎』とある。同姓同名の全くの無関係な者か、それとも、この主人公の末裔か? 識者の御教授を乞うものである。

・「親友川尻」既に複数回登場している五條代官や松前奉行を歴任した川尻甚五郎春之(はるの)と考えられる。先の「古佛畫の事」の私の注を参照のこと。

・「川尻の祖父」岩波版長谷川氏の注で、「川尻」が川尻春之であるとすれば、その祖父は鎮喬(しげたか 元禄五年(一六九二)年~宝暦四(一七五四)年)とする(生年は長谷川氏注の享年六十三歳から逆算した)。

・「荻生惣七」底本の鈴木氏注に、『荻生家は有名な儒者徂徠が出た家。幕臣としては徂徠の父景明(方庵)の跡は観(タスクル。惣七郎)が継ぎ、観の曾孫義俊が、寛政六年(二十五歳)大番になっている。娘というのは、この人の娘であろうか』と推定留保されているが、岩波版長谷川氏注では、この荻生惣七郎観(たすくる 寛文十(一六七〇)年~宝暦四(一七五四)年)に同定されている(生年は長谷川氏注の享年八十五歳から逆算した)。「甥」とあるが、有名人に関わるこの手の話では、しばしばわざと事実に反することを仕組んでおくものである。いざとなれば、事実と違うでしょ? と責任をわかす手段とするのは今と同じである。

・「つめ印」爪印。拇印のこと。自署や花押・印章などの代わりに、指先に墨・印肉を付けて捺印したもの。。爪判(つめばん)・爪形(つめがた)などとも言う。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 妖狐が道理に服従する事

 

 八王子千人頭(せんにんがしら)を勤めた山本鉄次郎殿は、私の親友川尻春之(はるの)殿の親族である。

 大分、以前の話であるが、山本殿、妻を迎えることと相い成り、川尻殿の祖父である鎮喬(しげたか)御大が世話致いて、荻生惣七郎観(おぎゅうそうしちろうたすくる)殿の娘を嫁と致いた。

 ところが婚姻後のこと、どうも、この妻女に狐が憑いた様子にて、詳しくは存ぜねど、何やらん、はなはだ不埒(ふらち)なることを口走って、手がつけられなくなって御座ったによって、その夫、山本殿、この物の怪の憑いた妻女を厳しく折檻致いて、

「――如何なる訳を以ってか、我らが迎えし新妻に憑いたものかッ!?」

と理を尽くして糺いたところが、その道理に伏(ふく)したものか、

「……確カニ……立チ退(の)キ申シマショウ……然レドモ……憑依致イテオルハ……コレ……我ラノミニテハ御座ナイ……江戸ヨリ……附イテ来タ狐モ……コレ……アリ……」

と、妻の口を借りて申したによって、

「……それは!……いや!――とまれ、かくまれ! 先ずは、そなたが立ち退くが道理じゃッ!」

と、無二無三に責め立てたによって、その告解致いた狐の方は、これ、とり除(んぞ)くことが出来たように見えたと申す。

 ところが新妻は、それでも未だに正気に戻らねば、なおも責め諭しを続けたところ、

「……我ハ……コノ女ノ元ノ在方(ざいかた)ヨリノ恨ミ……コレアレバコソ……カクモ婚姻ノズット先(せん)ヨリ憑リツイテ……ココヘト参ッタモノジャテ……サレバコソ……イッカナ……退(の)ケヌ……ワ……」

と正体を現わして不遜な謂いで答えたと申す。

 山本殿、これを聞くに、

「――何とも、その意、心得難きことではないか! 江戸表より我が元へ嫁として参ったその頃より、既に狐が憑いておったとならば――どうして妻女の親、狐憑きの女を嫁に出だすこと、これ、許そうものか、いや、許そうはずが、ない! 然らば――仮に我らが、これより妻と離縁など致すにしても――我が方(ほう)にて狐が憑いたのじゃと、里方にては思うに決まっておろう!――いや、逆に、狐が憑いたのも、当家自体が尋常ならざる家系なればこそのことであり、さればこそ、我らが『予てよりの狐憑きであった』と称し、己れに体よく、離縁を求めて参ったと、かの里方にて心ならずも邪推さるると申すも、これ、武士道に於いて、如何にも迷惑千万!――何であれ! ともかくも――まずは、我が妻より即座に離れてもろうしか、これ、御座らぬ!」

と、なおも厳しく折檻を加えた。

 されば、その山本殿の理路整然とした謂いに、この執拗(しゅうね)き妖狐も遂に伏したものかと思われ、

「……分カッタ……立チ退クワイナ……」

と答えた。

 すると山本殿、

「いや……暫く待てい!……」

と、なおも何か思案致いた後(のち)、

「――離縁後、里方へ帰って、ただ単に『里方よりの狐が憑いておるによって離縁致す』という説明だけでは、我らが危惧するところの不名誉を受くること、これ、全く以って、同じ結果を齎すは、明白!――されば、以上の我らに語った怨恨から憑依に至るまでの告解の委細――これ、証文に認(したた)めずんばならず!」

と述べたところ、妖狐は、

「……書クコトハ書クルガ……武家ノ式ニ則ッタ……チャントシタ文言ヤ書式ハ……コレ知ラザレバ……我ラニハ……出来難(にく)イ……」

なんどと、ほざいたところ、山本殿、

「――文言は――内容さえ人が読んでそれと分かるものであれば――妖狐流の好みのものでよい。」

と受け流した。

 かくして委細を、見た目、そうさ――妖狐自然流――とでも申そうものか……奇妙な筆使い……奇妙な崩し字……時に、奇妙な絵文字のようなものなんどまで用いて、それでも、確かに里方よりの永き怨恨を持ったる狐の憑依であった由を、分かるように綴ったものを、これ、認めさせて御座った。

 最後に、山本殿、妖狐に向かい、

「――今一つ。書面のみにては、これ、信じ難き怪談に流るるばかりにして、見る者は、『これ、人が捏造せる贋物(がんぶつ)ならん』との疑いを抱くに相違ない。されば、『確かに狐が憑いて書き記したものである』という明々白々な証拠がなくては、これ、埒が明かぬ!」

と、またしても折檻を重ねる。

「……印章ナンドハ……流石ニコノ我レラガ如キノ位階ノ者ニテハ……持タザレバ……」

と申したによって、

「――人間には爪印(つめいん)と申すものが、これ、ある。……」

と、話し聞かせたところ、狐の憑いた新妻、これ、手を口元へ引き寄せ、そのまま伏せるようにして、先程来、証文を書かせるに用いさせた硯に蔽い被さると、その口に、その墨を含み、かの書面へその手を押し附けた。

 新妻が身を起こす。

 その証文の末(すえ)を見れば、

――獣の足の先の跡の如きものが――そこに残っておった。

 山本殿は、

「――これにてよし!」

と、やがてその証文に離縁状を添えて、媒酌人であった川尻氏の元へ一旦、かの女を戻し、その上で、里方の荻生家へと帰したと申す。

 

「……惣七郎殿とは、かの荻生徂徠殿の甥子(おいご)に当たる方で御座る。」

 以上は川尻春之殿の直話で御座る。

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