くさつた蛤 萩原朔太郎 (「くさつた蛤」草稿2)
蛤
腐くさつた蛤
――なやましき春夜の感覺
つめた貝のつめ
つめた貝はわが身をみつめた
その遠い心の上に
砂ざらざらと砂がながれた
春の淺瀨に
春の夜ふけのしづけさに
しなびくさりきつた蛤
半身は砂の中にうづもれて
それで居てべろべろ舌を出した→す蛤なりして居る
貝のあたまの上には
砂利やしほみづがざらざらながれるて居る
それでも
じつに軟體動物の心臟じつにこゝろ細い
それがじつにじつにしづかである、
病氣とほいところを女の腰紐屍體がながれて居る淺瀨をくらげのひもはふらふら流れてゐるのさへ
貝のこのものゝ内臟はたしかに疾病氣がある
この貝のやはらかい内臟は
まるで夢をみるのやうに靑く透明だ→靑い晩月夜だかすんで見える
なんともいへぬ靑白い病氣死病の晩月夜だ
ああ、このへんがたまらなく生ぐさい
しかるに蛤はそのおよそこういふ晩に→だから今夜はかふいふときに人間が
とんとかぎつて縊るのだ→くびをくくつても死ぬのだ死ねばよい
ああそして砂利と砂利とのすきまから
蛤は病氣である非常に憔悴(やつ)れてゐる
そのまつたくぐにやぐにやした内臟がくさりかけたのだ
それでちよろちよろ→ちらちらちよろちよろ靑い息をするらしい
たまらなく生ぐさい死のにほひ、靈のにほひだ、
[やぶちゃん注:底本の第一巻『草稿詩篇 月に吠える』(三七二~三七四頁)に載る『くさつた蛤(本篇原稿五種六枚)』とある「くさった蛤」の草稿とする二番目のもの。底本では冒頭に『○』があるので標題はないものと見做した。底本では詩稿の最後に、この原稿の傍題(「くさつた蛤――なやましき春夜の感覺」を指すものと思われる)の左には以下のような序詩らしきものが附記されている旨の注記がある。ここではそれを推定して当該箇所に配した。
但し、原稿では、八行目が、
それがしづにしづにしづかである、
であるが、底本編者による誤字脱字補正の注に従った。
但し、底本では八行目の「こういふ」の歴史的仮名遣が「かういふ」に補正されているのは、ママとした。
取り消し線は抹消を示し、その抹消部の中でも先立って推敲抹消された部分は下線附き取り消し線で示した。「→」の末梢部分は、ある語句の明らかな書き換えがともに末梢されたことを示す。
なお、
しかるに蛤はそのおよそこういふ晩に→だから今夜はかふいふときに人間が
とんとかぎつて縊るのだ→くびをくくつても死ぬのだ死ねばよい
の部分は、底本の記号に従えば、二行セットで消去されていることが判明しているらしい。
終わりから三行目及び二行目の「ぐにやぐにや」「ちよろちよろ」「ちらちら」「ちよろちよろ」の四つの繰り返し後半は底本では踊り字「〱」である。
以上の二篇によって「くさつた蛤」の産みの苦しみがよく分かる。いいそびれたが、畸形者たる博物学フリークである私は、この「くさつた蛤」という詩を殊の外、偏愛しているのである。
削除部分を除去すると(ポイント落ちは読み難いのでやめた)、
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くさつた蛤
――なやましき春夜の感覺
つめた貝のつめ
つめた貝はわが身をみつめた
その遠い心の上に
砂ざらざらと砂がながれた
春の夜のしづけさに
くさりきつた蛤
半身は砂の中にうづもれて
それで居てべろべろ舌をして居る
貝のあたまの上には
砂利やしほみづがざらざらながれて居る
それがじつにじつにしづかである、
とほい淺瀨をくらげのひもは流れてゐるのさへ
夢のやうにかすんで見える
なんともいへぬ靑白い死病の月夜だ
ああ、このへんがたまらなく生ぐさい
ああそして砂利と砂利とのすきまから
蛤は非常に憔悴(やつ)れてゐる
まつたくぐにやぐにやした内臟がくさりかけたのだ
それでちよろちよろ靑い息をするらしい
*
となる。]