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« 耳嚢 巻之六 得奇刄事 | トップページ | 祕密 萩原朔太郎 »

2013/04/23

初夏の詩情 萩原朔太郎

私が愛し、私を愛してくれる、京都奈良をことのほか愛する、昔の、ある教え子に捧ぐ――

 初夏の詩情

 日本の季節の中では、初夏と晩秋がいちばん樂しく、絶好の季節のやうに思はれる。特に桐の花の吹く五月頃の季節、即ち所謂「初夏新綠」の候は、妙に空氣が甘ずつぱく、空が透明に靑くすんで、萬物の色が明るく鮮明に冴え、日本畫的であるよりも、むしろ洋餓的風物を思はせる。物の匂ひや肌ざはりやが、最も鋭敏に感じられ、官能の窓が一時に開放されるのもこの頃である。僕はその頃になると、不思議にロマンチツクの詩情に驅られ、何所かの知らない遠い所へ、ひそかに旅をしてみたいやうな、夢見心の郷愁に誘はれる。何がなし初夏の季節は、不思議に浪漫的の季節であり、他の日本的な四季とちがつて、例外的に西洋臭い情緒をもつた季節である。そのためか知らないが、昔の日本の詩歌人たちは、かうした初夏の季節や風物やを、趣味的にあまり好まなかつたやうに思はれる。昔の日本の風雅人等は、春と秋とを專ら好んで、夏と冬とを好かなかつた。特に就中、彼等が春を愛したことは、古今集以下の勅撰歌集に於て、春の部の歌が最も多いことによつて明らかである。
 しかし春といふ季節は、僕自身の主觀に於ては、決してそんなに好い季節ではない。名に空氣が生暖(なまぬる)くむくむくして、生理的に不健康な感じがするし、實際にまた頭痛や目まひがする。特に東京地方の春と來ては、埃がひどく立ちのぼるので、一面に物が汚れて薄ぎたなく、萬象が不透明に霞んで見える。さうした埃つぽい空氣の中で、初めから既に褪色して、白つちやけた色をしてゐる櫻の花を見る毎に、僕はいつも不快な性病をさへも聯想する。昔から多くの人々が、何でこんな櫻なんて汚ない花を、そんなにも多くの詩歌に詠んで愛したのか。そもそもまた春なんて詰らぬ季節を、どうしてそんなにも嘆美したのか。僕には長い間このわけが疑問であつた。
 ところが往年の春、一度京都に遊んで以來、初めてこの疑問が氷解した。京都の春は實に美しい。第一、東京のやうに埃がなく、風が吹かないで靜かな上に、水蒸氣が多いため、空氣がしつとりとして濡れて居り、萬象の風物が色を含んで、艶に朦朧と霞んで見える。特に夕景の美しさは格別で、山際かけて地平線の空に薄い臙脂色の春霞がたなびき、錦繪の空にそつくりである。さうした景象の中で、櫻の花が美女のやうに艷めかしく咲いてるのである。東京の櫻を見て「性病」を聯想した僕は、京都の櫻を見て「戀」を聯想し、初めて「花」といふ日本語の意味がわかつた。(花といふ日本語は、普通に櫻の花を意味し、倂せて艷めかしいこと、色めいたことを意味する。)
 昔の日本の詩歌人たち、特に王朝時代の歌人たちが、そんなにも春を愛し、春の歌を無數に詠んだといふわけも、京都へ來て初めて僕に合點された。その頃の歌人たちは、たいてい皆殿上人の公卿貴嬪(くげきひん)で、その殆んど全部が京都に住んで居たのである。そして同時にさうした彼等の歌の意味も、初めて現質感として理解された。

  見わたせば山もと霞む水無瀨川夕べは秋と何おもひけむ  (後鳥羽院)
  霞たつ末の松山ほのぼのと波にはなるる横雲の空  (藤原家隆)
  春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空  (藤原定家)
  春の空は梅の匂ひに霞みつつ曇りもはてぬ春の夜の月  (藤原定家)
  花は散りその色となく眺むればむなしき空に春雨ぞふる  (式子内親王)

 かうした昔の歌をよんで、以前の僕には何の面白味もなく、何の現實感もイメーヂに浮ばなかつた。むしろさうした歌人たちが、言語を遊戲的に修辭學化して、いたづらに美辭麗句を竝べることの態度に對して反感した。それが京都の春を見てから、自分のまちがひであることがすつかり解つた。「朧ろにかすむ」とか「霞に暮るる」とかの言葉の詩趣は、東京に住んでる人たちは、單なる美辭麗句として以外、絶對に解らないことであるが、京都の春を知る人には、それが眞に文字通りの寫生であり、現實感であることが解るのである。同時にまたさうした春の歌や櫻の歌が、單なる風物の敍景以外、歌の心の奧深く、ひそかに幽玄に匂はせてるところの、色めきたる戀心の種を知ることも出來るのである。
 しかし現實東京に住み、長く關東地方で育つた僕は、年々歳々、白つちやけた櫻を眺め、埃つぽい春の季節ばかりを經驗して居る。「花は散りその色となく眺むればむなしき空に春雨ぞふる」といふやうな色めいた歌の情趣は、現在東京に住んでる僕の場合、容易にイメーヂに浮んで來ない。僕の環境にあつて、常に最もよくイメーヂに浮んで來るのは、やはり前言つた「初夏新綠」の季節である。つまり言つて見れば、東京及び關東地方に於ては、この頃の季節が最も美しく樂しいのである。だが日本の文化は、昔から奈良の都を中心として、關西地方のみで繁榮した。さうして武家は關東に集團し、詩人とインテリゲンチユアの風流人とは、多く皆關西に生活して居た。そのため日本の詩歌にあつては、初夏を歌つたものが極めてすくなく、殆んど稀有の數にすぎない。まれにそれを歌つたものも、僕等の詩情する季節感とは、大いに趣きが異つて居る。即ちたとへば、

  うちしめり菖蒲ぞかをる時鳥なくや五月の雨の夕ぐれ
  時鳥鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ戀もするかな

 といふ風に、梅雨時のじめじめした暗鬱な季節感を詠んだもので、あの洋畫的の明るい風物や、浪漫的の郷愁感をそそるところの、眞の初夏新綠の季節を歌つた詩歌は、殆んど中世以後の日本にない。ただ上古の詞葉集であつた萬葉集に、珍らしくさうした浪漫的の初夏の歌が散在するのは、當時唐を經て間接に傳來した西歐の文化が、奈良朝歌人に何かの影響を與へたものか。もしくはその所謂「詠み人知らず」の庶民たちが、全國の諸地方に散亂して居た爲かであらう。
 しかし此處に最も奇蹟的な存在は、實に與謝蕪村の俳句である。日本の俳人は歌人と同じく、芭蕉以來系譜的に春秋の二季を愛し、その季に屬する作品が多いのに反して、初夏を詠じたものは甚だすくなく、素堂の名句「目に靑葉山ほととぎす初鰹」の如きも、むしろ異例的な作にすぎない。然るに蘇村の俳句には、さうした初夏の明朗感や郷愁感を歌つたものが、量に於て相當に多いばかりでなく、質に於ても極めて秀れて居るのである。試みに次の蕪村の俳句を見よ。

  愁ひつつ丘に登れば花茨
  絶頂の城たのもしき若葉かな
  鮒鮓や彦根の城に雲かかる
  更衣野路の人はつかに白し
  花茨故郷の道に似たるかな

 此等の俳句が詠じてゐるものは、すべて初夏新綠の頃の季節が特色してゐるところの、明るく爽やかな洋畫的風光であり、そしてその詩情の本質を流れてるものは、同じその季節が誘ふところの、一種の縹渺たるロマンチツクな郷愁である。「在家」の句に於て、いかにその浪漫的郷愁の詩情が、強く高調的に歌はれてるかを見よ。そして「更衣」の句や「絶頂の城」の句が、いかに洋畫風の明るい色彩と空氣を措いてるかを見よ。さらにまた「鮒鮓」の句が、その詩情の本質に於て、島崎藤村氏の名詩「千曲川旅情の歌」と共通して居り、浪漫的抒情の高い調べに富んでるかを見よ。蕪村の生きてた天明年間は、十九世紀の初頭に當り、西歐の文壇では、浪漫主義が全盛に榮えて居た時であつた。しかし同時代の鎖國してゐた島國日本に、さうした西歐文化の渡來して來るわけがないから、蕪村の新らしさと浪漫性とは、全く日本で孤獨に芽生えた變り種で、しかも後に根をつぐものなく、一代限りで亡びてしまつた花であつた。しかも蕪村の生涯は、大部分を京都に暮らして居たことを考へるとき、いよいよ以てその藝術の偶然性と、天才の偶然性(天才の出生は、科學上にも蓋然律の方則でしか證明されず、全く偶然のものである。)が考へられる。
 明治以後になつてから、西歐詩の影響の下に、傳統的な日本詩歌のマンネリズムを脱却して、新しい季節感を歌つた詩歌人はすくなくないが、その最も優なるものは北原白秋氏であつた。特に氏の處女歌集「桐の花」は、その書物の題名が示す如く、集中の歌の大部分が初夏新綠の頃の明るく官能的な風物を歌つたもので、そのリリシズムの本質には、少年の日のやるせない哀傷感が、一種の淡いノスタルヂアとなつて、桐の花の黄粉のやうに漂つて居る。
 最後にこの雜誌の讀者のために、僕の靑年時代に作つた初期の詩から、さうした季節感を歌つた作品一篇を載せてみよう。

      旅上

  ふらんすへ行(ゆ)きたしと思(おも)へども
  ふらんすはあまりに遠(とほ)し
  せめては新(あたら)しき背廣(せびろ)をきて
  氣(き)ままなる旅(たび)に出(い)でてみむ
  汽車(きしや)が山道(やまみち)を行(ゆ)くとき
  水色(みづいろ)の窓(まど)に寄(よ)りかかりて
  我(わ)れひとり嬉(うれ)しきことを思(おも)はむ。
  五月(さつき)の朝(あさ)の東雲(しののめ)
  うら若草(わかぐさ)のもゆる心(こころ)まかせに。

[やぶちゃん注:『婦人公論』第二十六巻第五号・昭和一六(一九四一)年五月号所収。
「うちしめり菖蒲ぞかをる時鳥なくや五月の雨の夕ぐれ」九条良経の和歌。「新古今和歌集」に所収。次の歌の本歌取り。言わずもがな乍ら、「菖蒲」は「あやめ」、「時鳥」は「ほととぎす」、「五月」は「さつき」と読む。
「時鳥鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ戀もするかな」誤り。「古今和歌集」の「卷第十一」の冒頭「戀歌一」の巻首を飾る「よみ人しらず」「題しらず」の和歌(「国歌大観」番号四六九)。
「目に靑葉山ほととぎす初鰹」誤り。
 目には靑葉山ほととぎす初鰹
である。
 最後に示された「旅上」は知られたものは「純情小曲集」(大正一四(一九二五)年八月新潮社刊)に所収されたものであるが、ここでは、その初出(無題)を示すこととする。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きまゝなる旅にいでゝみん
汽車が山みちを行くとき
みづいろの窓によりかゝりて
われ一人うれしきことを思はん
五月の朝のしのゝめ
うら若草のもえいづる心まかせに

これは『朱欒』第三号第五号・大正二(一九一三)年五月号所収のものである。]

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