小説家の詩 萩原朔太郎
小説家の詩
イメーヂや聯想は、もちろん詩の内容する肉質である。けれどもそれが詩を生むのではなく、イメーヂや聯想の中の情熱(主觀的な詩的興奮)が生むのである。詩的門外漢のアマチユア詩觀は、しばしばこの點で詩の本質を誤つて居る。或る聰明な小説家は、風景から奇拔な聯想を表象して、いつも俳句を作ることに苦心して居た。その俳句には生命がなく、ポエムとしての魅力(詩趣や俳味)が全く缺けてゐた。即ちそれは詩ではなかつた。
[やぶちゃん注:『詩・現実』第五冊・昭和六(一九三一)年六月に所収。「詩的門外漢のアマチユア詩觀」を持った、「詩の本質を誤つて居る」ところの「風景から奇拔な聯想を表象して、いつも俳句を作ることに苦心して居た」朔太郎の周辺にいた「聰明な小説家」とは――恐らく故芥川龍之介――しか、いない。かつて朔太郎は、
芥川龍之介――彼は詩を熱情してゐる小説家である。
その頃、雜誌「改造」の誌上に於て、彼の連載してゐる感想「文藝的な、餘りに文藝的な」を讀むに及んで、この感はいよいよ深くなつて來た。その論文に於て、彼はしきりに「詩」を説いてる。もちろん彼の意味する詩は、形式上の詩――抒情詩や敍事詩の韻文學――でなく、一般文學の本質感たるべき詩、即ち「詩的情操」を指してゐるのだ。私がこの文中でしばしば言つてゐる「詩」の意味も、もちろんこれに同じ。芥川君のあの論文、及び最近における彼の多くの感想をよんだ人は、いかに彼が純粹な詩の憧憬者であり、ただ詩的なものの中にのみ、眞の意味の文學があり得ることを、必死に力説してゐるかを知るだらう。
自分は不讀にして、芥川君の以前の文藝觀を知つてゐない。しかし最近の如く、彼が詩に深い接觸をもち、詩的の實精神に憧憬し、殆んどそれによつて文藝觀の本質に突き入らんとするが如きは、恐らくかつて見なかつた所だらう。自分の憶斷する所によれば、最近の芥川君はたしかに一轉期に臨んでゐた。彼の過去における一切の思想と感情とに、ある根本的の動搖があり、新しき生活の革命に入らうとする、けなげにも悲壯な心境が感じられた。そして實際、この轉囘は多少その作品にも現はれてゐる。たとへばあの憂鬱でニヒリズムが濃い「河童」や、特に最近の悲痛な名作「齒車」やに於て。
けれども自分は、依然として尚芥川君の「詩」に懷疑を抱いてゐた。けだし芥川君は――自分の見る所によれば――實に詩を熱情する所の、典型的な小説家にすぎなかつたから。換言すれば、彼自身は詩人ではなく、しかも詩人にならうとして努力する所の、別の文學者的範疇に屬してゐるのだ。實に詩人といふためには、彼の作品は(その二三のものを除いて)あまりにも客觀的、合理觀的、非情熱的、常識主義的でありすぎる。特にその「文藝春秋」に掲載された「侏儒の言葉」や、私の所謂印象的散文風な短文やを見ると、いかに彼の文學本質が、詩人といふに遙かに別種の氣質に屬するかを感じさせる。しかも芥川君は、自ら稱して「詩人」と呼び、且つ「僕は僕の中の詩人を完成させるために創作する」と主張してゐる。
かうした芥川君の觀念は、たしかに詩の本質で誤謬をもつてる。すくなくとも私の信ずる所は、芥川君と「詩」の見解を別にする。それで私は、いつか適當の機會をみて、このことで芥川君と一論戰をしようと思つた。丁度その頃、雜誌「驢馬」の同人を主とし、室生、芥川の二君を賓とするパイプの會が上野にあつた。私はその機會をねらつた。だが不運にして芥川君は出席されず、歸途に驢馬同人の諸君に向つて、大いに私の論旨を演説した。「詩が、芥川君の藝術にあるとは思はれない。それは時に、最も氣の利いた詩的の表現、詩的構想をもつてゐる。だが無機物である。生命としての靈魂がない。」私はさういふ意味のことを、可成り大膽に公言した。
と述べている(私の電子テクスト、『改造』昭和二(一九二七)年九月号初出の「芥川龍之介の死」より。下線「詩を熱情してゐる小説家」部分は「○」の傍点)。
但し、私は芥川龍之介の俳句が、「生命がなく、ポエムとしての魅力(詩趣や俳味)が全く缺けてゐた。即ちそれは詩ではなかつた」という朔太郎の見解には鮮やかに「否!」と応えるものである。]