沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 37
拜佛國禪師之塔先問塔主山風暗答、常寂塔者無香燈之備、
雖法門之正統、庵缺提綱之任否、空房而老鼠白日行野狐
入夜宿、禪扉不閉風霜飽浸慈顏、吁時乎命乎、聞昔年之
盛事見今日之頽廢、感慨非一卒賦俚語云、
土曠人稀一塔荒 禪扉不鎖飽風霜
可憐此法今墜地 佛國光輝有若亡
[やぶちゃん注:以上を底本の訓点を参考にしながら、私なりに書き下しておく。
佛國禪師の塔を拜し、先づ塔主を問ふに、
山風、暗(やみ)に答ふ。
常寂の塔は香燈の備へ無く、
法門の正統と雖も、
庵、提綱(ていこう)の任を缺くや否や、
空房にして、老鼠、白日に行き、
野狐、夜に入りて宿す。
禪扉、閉さず、風霜、飽くまで慈顏を浸ほす。
吁(ああ)、時か命か、
昔年の盛事を聞き、今日の頽廢を見て、
感慨、一つに非ず、
卒(にはか)に俚語を賦して云はく、
土 曠(あら)く 人 稀れに 一塔 荒る
禪扉 鎖さず 風霜に飽く
憐れむべし 此の法 今 地に墜つ
佛國光輝 有れども亡きがごとし
「佛國禪師」高峰顕日。
「土曠人稀」は「書経」の巻之二の、
今水患雖平、而卑濕沮洳、未必盡去、土曠人稀、生理鮮少。
(今、水患、平らぐと雖も、而して卑濕沮洳、未だ必ずしも盡く去らず、土、曠く、人、稀にして、生理、鮮少なり。)に基づくものと思われる。「卑濕沮洳」「ひしつしよじよ」と読み、土地が低く水はけが悪くて常にじめじめしていること。「生理」暮し向き。「鮮少」頗る少ない、窮貧の謂い。
この前書を含む全体を支配する己が禅の源流たる建長寺の完膚なきまでの荒廃への、烈しい悲憤梗概の情は、これ、ただならぬものを感じさせる。さればこそ、私はこの詩を沢庵の名吟の一つと数えたいのである。]

