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2013/04/24

林道春「丙辰紀行」より金澤・鎌倉・江島 / ブログ・カテゴリ「鎌倉紀行・地誌」創始

ブログ・カテゴリ「鎌倉紀行・地誌」を創始する。

ここでは、鎌倉・江の島・金沢等の、近世から近代にかけての比較的短い紀行文や地誌断片等を電子化してゆく。

 

まず最初は近世では最も古い部類に属する林羅山の丙辰紀行から。

 

 

林道春「丙辰紀行」より金澤・鎌倉・江島

 

[やぶちゃん注:本作は朱子学者にして林家初祖の林道春(号・羅山 天正一一(一五八三)年~明暦三(一六五七)年)が、元和二(一六一六)年に江戸から京都までの東海道を辿った際の紀行文である。彼はこの年の一月に徳川家康の命を受けて、金沢文庫に残っていた、唐初の太宗の撰になる「群書治要」の古活字本の編集版行を行い、五月下旬に完成させ(但し、家康はその前月四月十七日に死去している)、その後、家康の遺命より駿府文庫等の幕府所有の文書類の整理を行った後、生地京都へ戻った、その際の見聞紀行であるが、通常の紀行とは異なり、地名を項目に立てて、まず江戸の各地を地誌風に叙述することから始めている。各地の伝説や名物などの記事を簡潔に記し、多くの場合、七絶か七律の漢詩を添えている。近世初期にあって既にして地誌的記載法を採用している点、注目すべき作品である。

 底本は早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」の同図書館蔵の黒川家旧蔵書写本「丙辰紀行」のPDF版を視認して用いた。適宜、句読点や記号及び濁点を補って読み易くした。送り仮名の一部を本文に出した箇所がある。なお、読みはカタカナであるが、平仮名に直してある。漢詩は本文では白文表記とし、直後に〔 〕で訓点に従った書き下し文を示した。その際、不足する読みや送り仮名を〈 〉で補足した。]

 

丙辰紀行

 

   金澤(かなさは)

 

金澤の絶景は、東州の佳境にて、事好むもの、丹靑(たんせい)の手をかりて屏風にうつし、市杵島・天橋立(あまのはしたて)にも、いかでかおとるべきなど、もてなしあへり。北條氏(ほうでううぢ)、天下の權をとる時に、文庫(ぶんこ)を建(たて)て、金澤の文庫といへる四字を、儒書には黑印(こくゐん)をおし、佛經には朱(しゆ)印をつきておさめ置ける。越後守(えちごのかみ)平貞顯(のさだあきら)、この所にて淸原教隆(ののりたか)に、群(ぐん)書治要(ちよう)を讀(よま)せける。余が見侍りしも文選・清原師光(のもろみつ)が左傳・教隆が群(ぐん)書治要(ぢよう)・齊民要術(さいみんようゆつ)・律令義解(りつれいぎかい)・本朝文粹(ずい)・續本朝文粹・續日本紀などのたぐひ、其外、人家に所々ありけるも、一部と調(とゝのひ)たるはまれなり。一切經も取ほごして、纔(わづか)殘りて今に金澤にあり。古記典籍(てんじやく)の厄(やく)に逢(あへ)る事、いにしへより今に至るまで、いくたびといふ事をしらず。蘇我氏(そがし)が亂は、我が朝の一秦(しん)とも申べき。宅嗣が芸亭(うんてい)は名をだにもきかず。宇治の寶藏・蓮華五院の寶藏なども、跡さへぞなき。誠に祝融(しゆくゆう)にうばはれ、陽侯におぼるゝのみならず、兵燹(せん)にほろび、馬蹄にふみ散らさる。心あらん人、むかしをおもひ出ざらんや。されば人の語りしは、先聖・先師・九哲(てつ)の影、六經の註疏(ちうしよ)、いまに足利(あしかゞ)にあり。小野篁(をのゝたかむら)が東國へまかりける時に、足利に讀書の堂をつくりしが、今に殘りてあるぞ是なるとなん。余もまかりて見むとのみ、あらましにて年月をすごしぬ。

懷古涙痕羇旅情。腐儒早晩起蒼生。人亡書泯幾囘歳。境致空留金澤名。

〔懷古(くわい〈こ〉)の涙痕(るいこん) 羇旅の情

 腐儒(ふ〈じゆ〉) 早晩 蒼生を起す

 人 亡び 書 泯(ほろ)びて 幾囘(いくそばく)の歳ぞ

 境致 空く留む 金澤の名〕

 

   鎌倉(かまくら)

 

鎌倉にいたりて、あなたこなた見ありき侍りしに、賴朝の墓とて人のをしへければ、鴨(かも)の長明が、革も木もなびきし秋の霜きへて、といへる事を思ひ出て。

滿目鎌倉城郭亡。雲烟漠々樹蒼々。逍遙昔聽遊龜谷。報賽今無詣鶴岡草偃匣中三尺水。苔深墓上五更霜。君公不識包桑計。千載英雄涙濕裳。

〔滿目 鎌倉 城郭亡ぶ

 雲烟 漠々(ばく〈ばく〉) 樹蒼々

 逍遙(せう〈えう〉)として昔(かつ)て聽く 龜谷(かめがやつ)に遊〈ぶ〉

 報賽(〈ほう〉さい) 今無し 鶴岡(つるがをか)に詣〈づ〉

 草は偃(のべふ)す 匣中(かう〈ちう〉) 三尺の水

 苔は深し 墓上(ぼ〈じやう〉) 五更の霜

 君公 包桑の計ふを識らず

 千載の英雄 涙 裳(もすそ)を濕(うるを)す〕

[やぶちゃん注:最後の「裳」の「もすそ」は右ではなく左下部に振られている。]

 

   江島(えのしま)

 

藤沢より馬にまたがり、海濱近き所にて漁父の舟をかり、江嶋に渡りて見れば、あなたの海の岸の下に、大なる岩窟(がんくつ)あり。つい松をともして、深く入るほどに百歩あまりにてやみぬ。むかし龍神の棲(すみ)ける所となんいひ傳る。この嶋の弁才(べんざい)天女は、世にかくれなき事なり。

借間嶋中人。不知此孰神。蜿々遺蹤在。君其問水濱。江島從來神女居。風鬟霧鬢駕雲輿。遊人若有登仙意。水宿應傳柳毅書。

〔借間(しやもん)す 嶋中の人

 知らず 此れ孰(いづ)れの神ぞ

 蜿々(えん〈えん〉)として遺蹤(ゐしよ)在り

 君 其れ 水濱(すいひん)を問へ

 

 江島 從來 神女の居

 風鬟霧鬢(〈ふう〉くわんぶれん) 雲輿(〈うん〉よ)に駕す

 遊人 若し登仙の意有らば

 水宿 應〈に〉傳〈ふべし〉 柳毅(〈りう〉き)が書〕

[やぶちゃん注:「霧鬢」底本では「フレン」とある。「霧」には稀な音として「ぶ」がある。「柳毅」は唐代伝奇李朝威作と伝える「柳毅伝」の主人公。科挙に落ちた書生柳毅が洞庭湖の龍王公主と結ばれる恋物語。]

神世いかに今むつましみわたつ海の八重の塩路に言傳やらん

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