液體化した文學 萩原朔太郎
液體化した文學
詩作とは、詩人の經驗内容にある對象や素材やを、韻律によつて液體化することの技術である。すべての物質は、液體化することによつて、その個體の時の形相を無くしてしまふ。詩の表現が、すべての生活經驗をイメーヂ化することによつて、縹渺模糊たる風趣を帶びるのはこのためである。經驗内容の素材が、その固體のままの原形で出るやうな文學は、未だ詩ととは言へないのである。
[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年創元社刊のアフォリズム集「港にて」の冒頭パート「詩と文學 1 詩――詩人」の二十四番目、先に示した「抒情詩と敍事詩」の直後に配されたものである。萩原朔太郎は「經驗内容の素材が、その固體のままの原形で出るやうな文學は、未だ詩ととは言へない」として所謂、あの、世界に稀なる、おぞましき私小説を全否定しているのである。私小説の中にも詩的なるもののたまさかに輝くことを私は否定しない。しないが、やはり私にとって私小説は、「胡散臭い」の一言に尽きる。長々と辿ってきた「港にて」の冒頭パート「詩と文學 1 詩――詩人」は未だ続くのであるが、この私の好きな「液體化した文學」を以って、ここで暫くブレイクとする。]
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