栂尾明恵上人伝記 20 「おしま殿」への恋文
又便(たより)に付けて、暫し栖み馴れける紀州苅磨(かるも)と云ふ嶋へ、狀を遺されける。おろおろ見及びし所少々之を註す。其の狀に云はく、
其の後何條の御事候や。罷り出で候ひし後、便宜(べんぎ)を得ず候て、案内を啓せず候。抑も嶋の自體(じたい)を思へば、是慾界繫の法、顯形(けんぎやう)二色(しき)の種類、眼根(げんこん)の所取、眼識(がんしき)の所緣、八事倶生の如(によ)なり。色性即智(しきしやうそくち)なれば悟らざる事なく、智性即理(ちしやうそくり)なれば、遍(へん)せざる所なし。理即眞如(りそくしんによ)なり。眞如即法身(しんによそくほつしん)、無差別の理、理即衆生界(りそくしゆじやうかい)と更に差異なし。然れば非情なりとて衆生に隔(へだて)て思ふべきにあらず。何(いか)に況んや、國土身(こくどしん)は即ち如來十身の隨一(ずゐいつ)なり。盧舍那妙體(るしやなめうたい)の外の物に非ず。六相圓融無碍法門(ろくさうゑんゆうむげほふもん)を談ずれば、嶋の自體則(すなはち)國土身なり。別相門(べつさうもん)に出づる時、即ち是れ衆生身・業報身(ごうはうしん)・聲聞身(しやうもんじん)・緣覺身(えんがくしん)・菩薩身・如來身・法身(ほつしん)・智身・虛空身(こくうじん)なり。嶋の自體則十身の體なれば十身互に周遍せるが故に圓融自在にして、因陀羅網(いんだらもう)を盡して、高く思義(しぎ)の外に出で、遙に識智(しきち)の境を越えたり。然れば、華嚴十佛の悟(さとり)の前に、嶋の理を思へば、依正無㝵(えしやうむげ)・一多自在(いつたじざい)・因陀羅網・重々無盡(ぢゆうぢゆうむじん)・周遍法界(しうへんほつかい)・不可思議圓滿究竟(ゑんまんくきやう)、十身具足、毘盧舍那如來と云ふは、即ち嶋の自躰の外に何ぞ是を求めんや。かく申すに付けても、涙眼に浮かびて、昔見し月日遙に隔たりぬれば、磯に遊び場に戲れし事を思ひ出されて忘られず。戀慕の心を催しながら、見參(けんざん)する期なくて過ぎ候こそ、本意に非ず候へ。又、其れに候ひし大櫻こそ思ひ出されて戀しう候へ。消息など遣りて、何事か有り候など、申したき時も候へども、物いはぬ櫻の許(もと)へ、文やる物狂(ものくる)ひ有りなんど、いはれぬべき事にて候へば、非分(ひぶん)の世間の振舞(ふるまひ)に同ずる程に、思ひ乍らつゝみて候なり。然れども所詮は物狂はしく思はん人は友達になせそかし。寶州(ほうしう)に求めし自在海師(じざいかいし)に伴ひて、嶋に渡りて大海にすまゝし。海雲比丘(かいうんびく)を友として心を遊ばしめんに、何の足らざる處か有らんや。其れに候うて本意の如く行道(ぎやうだう)して候ひしより、いみじき心ある人よりも、誠に面白き遊宴の友とは、御處(ごしよ)をこそ深くたのみ進(まゐら)せて候へ。年來世の中を御覽じたれば、昔習ひに土を掘りて、物語せし者ありしぞかしともや思食(おぼしめ)すらん。其等は古き事なり。此の比(ころ)左樣の事は世に似ぬ事にて候へば、申せば望み有るに似たり。然れども和合僧(わごうそう)の律儀(りつぎ)を修して、同一法界の中に住せり。傍の友の心を守らずは、衆生を攝護(せふご)する心なきに似たり。凡そは咎(とが)にて咎ならぬ事にて候なり。取り敢へず候。併せて後信(ごしん)を期(き)し候。
恐惶敬白。
某月 日 高辨狀
嶋殿へ
とぞ書かれける。使者此の御文をば誰に付け候べきと申しければ、只其の苅磨嶋の中にて、栂尾の明惠房の許よりの文にて候と、高らかに喚(よ)ばゝりて、打ち捨てゝ歸り給へとぞ仰せられける。
[やぶちゃん注:手紙は底本では全體が一字下げである。
「紀州苅磨(かるも)と云ふ嶋」現在の和歌山県有田郡湯浅町(ゆあさちょう)栖原(すはら)、湯浅湾に浮かぶ苅藻島(かるもじま:近接した二島から成る。グーグル・マップ・データ)のこと。久保田淳・山口明穂校注岩波文庫版「明恵上人集」後注によれば、『明恵は建久年間の末、喜海・道忠とともに南苅磨島に渡って』修行を行っている。即ち、――これは文字通り――限りなく思慕する「おしま殿」への恋文(ラブレター)――なのである。]