栂尾明恵上人伝記 7 少年明恵の面影
特(こと)に、父母におくれたること、朝暮(てうぼ)に思ひ忘るゝ時なし。犬烏(いぬからす)を見ても、我が父母にてや有るらんと思ひ、昵(むつ)まじくも、又敬(うあやま)はしくも覺えき。或時、思ひがけず、犬の子を越えたること有りき。若し父母にてや有るらんと思ひて、則ち立ち歸りて拜みき。亦(また)自然(しぜん)戲(たはぶ)れ笑ふ事有るにも、若し父母三途(さんづ)に入りて、苦患(くげん)をや受くらん。是(これ)を助けずして、何事を快(こゝろよ)くしてか戲笑(げせう)すべき。若し又中有(ちうう)にありて、我を見ることあらば、別れを歎かずして、放逸に歡樂して戲笑すと見えん事、恥かしく覺えて、假にも戲笑する事無かりき。今は一筋に、速く法師に成りて、行ひ勤めて、貴(たふと)からんことを念ふ。則ち華嚴五教章(けごんごけうしやう)、又悉曇(しつどん)等(とう)を受學す。
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八歳の笑わぬ少年――僕はその面影を想っただけで――何か胸が衝かれるのである……
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