名も知らない女へ 大手拓次
名も知らない女へ
名も知らない女よ、
おまへの眼にはやさしい媚がとがつてゐる、
そして その瞳(ひとみ)は小魚のやうにはねてゐる、
おまへのやはらかな頰は
ふつくりとして色とにほひの住處(すみか)、
おまへのからだはすんなりとして
手はいきもののやうにうごめく。
名もしらない女よ、
おまへのわけた髮の毛は
うすぐらく、なやましく、
ゆふべの鐘のねのやうにわたしの心にまつはる。
「ねえおつかさん、
あたし足(あし)がかつたるくつてしやうがないわ」
わたしはまだそのこゑをおぼえてゐる。
うつくしい うつくしい名もしらない女よ
*
これを以って「球形の鬼」の章を終わる。