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2013/04/15

沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 24

 爰を出てむかふ山に報國寺といふあり。惣門に漸入佳境と云四字を題す。是より踏入ば岩のめぐりたるかげに佛殿方丈あり。さばかりの跡なり。爰をも出て又むかふ谷に入ぬ。左に入ふかき谷あり、覺園寺と云禪家あり。實古跡也。尊氏將軍の再興し給てよりこのかたの寺也。むねの札にたしかにみえたり。今の世の工の造りたるにちがひ、見所多し。長老坊の造りなど外にはいまだみぬさまなり。月中行事の須簿あり、叮嚀也。むかしはさぞ、今はさだめて十が二三もつとめはあらじとおもふ。八十の老僧一兩人うち眠りて壁によりたる有樣いづくにたとへむ閑さとも覺えず、いさゝかも世中をばしらぬがほ也。心にまかせなば爰にとゞまりて生ををくらまほしくぞおもふ。捨ぬる身さへ心のまゝにならぬ事也。人のおもふにちがひぬ。此寺庄園も少は殘り山林もあれども人をかくより、境日々におとろへぬとみえたり。かい力の人あらば今少はのきをもかゝげ庭の木葉をもはらひつべうぞおぼえける。いづくにも任にあたる人まれ也。境は人によつてあらはるゝといふ事、實也。

[やぶちゃん注:「さばかりの跡なり」とするのは、明らかに沢庵は、この報国寺の佇まいは全く以って惹かれなかったことを意味している。「さばかり」は強意もあるが、ここは「その程度の」の謂いであることは明らかである(実際に心打たれてのであれば、他の寺同様に沢庵なら必ず描写をするはずである)。「鎌倉市史 社寺編」にも、報国寺は『諸僧侶の伝記にも見えず、中世の旅行者はおろか近世の旅行者達もこの寺については何も書いていない。彼らはよく江戸から金沢方面を通ってこの街道を西へ向かっているが、浄妙寺からすぐ杉本寺にかかってここに立ち寄っていないらしい』とある。沢庵はそれでも、わざわざ一回戻って訪ねているのであるが、その労を費やしたにも拘わらず、その趣きの失望感が大であったということででもあろう。今や、『竹の寺』として観光客を寄せている報国寺――私は、さる理由があって(興味のあられる方は私のブログ『父さん 今日 俺が「あいつ」に父さんの仇を討つぜ』をお読みになられたい)、嫌いな寺であるだけに沢庵の、このけんもほろろな謂いが、頗る附きで――痛快である。特に後半の覚園寺の衰亡をプラグマティクに残念に思いながらも、でもその実、許されるなら、この幽邃で俗世間を離れた寺に暮らしたいものだ、と述懐する彼の感懐とは美事に対比されて、如何にも如何にも面白いのである。

「實古跡也」「實に」の「に」の脱字であろう。

「長老坊」祖師堂のことか。

「須簿」「すぼ」と読むか。儀礼等の要点を記載した記録簿のことか。]

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