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2013/04/23

耳嚢 巻之六 得奇刄事

 得奇刄事

 

 享保の頃の事とや、本多庚之助(ほんだこうのすけ)家中に、名字は聞もらしぬ、惠兵衞(けいべゑ)と云(いへ)る剛勇の男ありしが、或時夜に入(いり)、程遠き在邊へ至り歸りの節、稻村(いなむら)の内より六尺有餘の男出て、酒手(さかて)をこひし故、持合無之(もちあはせこれなき)由、斷(ことわり)を不聞(きかず)、大脇差を拔(ぬき)て切懸(きりかかり)し故、拔打(ぬきうち)に切付(きりつけ)しに、鹽梅(あんばい)能く一刀に切倒(きりたふ)し候ゆゑ、早く刀を拭(のご)ひ納(をさめ)て立(たち)歸りしが、右の袖手共(そでてども)にのり流れける故、扨(さて)は手を負ひしと思ひ、月明りにて改め見しに、疵請(きずうけ)し事もなし。能々みれば刀の束(つか)をこみともに一寸斗(ばかり)切り落し有之(これある)故、驚きて、遖(あつぱ)れのきれものと、不敵にも右の處へ立(たち)戻り其邊を見しに、こみとも切れ候所も、其場所に落(おち)てありし故ひろひとり、去(さる)にても盜賊の所持せし刀、遖れの名刀也と、猶(なほ)死骸を見しに、彼刄持居候間取納(かのかたなもちをりさふらふあいだとりをさめ)て宿元(やどもと)へ立歸りしが、かゝる切もの、いよいよためし見度(みたし)とて、主人屋敷にてためしものありし節、持參して試し給るやう望(のぞみ)ければ、則(すなはち)ためさんと、彼(かの)刀を拔拂(ぬきはら)ひ、つくづくと見て、扨て珍敷(めづらしき)刀かな、久しぶりにて見候なり、是は名刀也、試すに不及(およばず)と、彼(かの)ためしする者、殊外(ことのほか)賞美して、手に入(いれ)し譯尋(たづね)ける故、今は何をか隱さん、かくかくの事にて手に入(いれ)しとかたりて、右刀には別にせんずわりといふ切名(きりめい)あるべしと、改めしに、果して其銘あり。是は切支丹(きりしたん)御征罰(せいばつ)の時、夥敷(おびただしく)切りしに、中にもすぐれて切身(きれみ)よかりしを、右の切銘を入れしとなり。彼被殺(かのころされ)し盜賊は、權房五左衞門とて、北國(ほつこく)に名ある強盜の由。久田(ひさだ)若年の節、父のもの語りなりと咄しぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特になし。本格武辺物の名刀譚。

・「得奇刄事」は「奇刄(きじん)を得し事」と読む。

・「享保の頃」西暦一七一六年~一七三六年。根岸の生年は元文二(一七三七)年であるから、誕生前の珍しく古い話。「卷之六」の執筆推定下限は文化元(一八〇四)年であるから、七十年以上前の出来事である。

・「本多庚之助」底本の鈴木氏の注には、『播州山崎で一万石』とする。山崎藩(やまさきはん)は播磨国宍粟(しそう)郡周辺を領有した藩で藩庁として山崎(現在の兵庫県宍粟市山崎町)に山崎陣屋が置かれていた。但し、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、本文が『本多孝之助』となっており、長谷川氏は注で、『正徳元年(一七一一)没の幸之助忠次、三河挙母一万石か』と推定されておられる。『三河挙母』は三河国北西部(現在の愛知県豊田市中心部)を治めた譜代大名の小藩挙母藩(ころもはん)のこと。なお、何れの本田家も「ほんだ」と読む。

・「稻村」稲叢。刈り取った稲を乾燥させるために野外に積み上げたもの。稲塚(いなづか)。従ってロケは中秋である。

・「六尺有餘」二メートル八十センチを優に越える。

・「大脇差」脇差は武士が腰に差す大小二刀の小刀の方の呼称であるが、その脇差の非常に長いものをいう。

・「右の袖手共にのり流れける故」「のり」は血糊であるが、後で分かるように、これは一刀のもとに断ち切ったその際、同時に相手の盗賊權房五左衞門の太刀(後に名が出る名刀「せんずわり」)の切っ先が、恵兵衛の太刀の柄の頭(かしら)の部分を断ち切っていたのであったが、その影響から小身(後注参照)が緩み、權房五左衞門を斬った際の多量の血液が恵兵衛の太刀の鍔で止まらず、斬った直後に緩んだ部分から柄の内側にそれが流れ込み、頭の抜けた部分から右二の腕や袖の部分に流れ入ったものと推定される。

・「遖(あつぱ)れ」の読みは底本のもの。

・「こみ」「小身」「込み」などと書き、刀身の柄(つか)に入った部分。中子(なかご)のこと。

・「ためしもの」試し物。刀の斬れ味を試すために死刑囚やその遺体などを試し斬りにすること。

・「せんずわり」千頭割か(但し、だったら「せんづわり」でないとおかしい)。刀の加工に用いる道具に「銛(せん)」(「銑」とも書く)と呼ばれる鉄を削る押切りの刃のような大振りの手押し鉋(かんな)があるがそれと関係があるか。キリシタン絡みだから「せんず」は伴天連関連の何かなのかも知れぬ。いや、「センズ」とは「イエズス」の訛かも……なんどと夢想もした。銘なので、ひらがなというのも何なので、勝手ながらとり敢えず、訳では「千頭割」としておいた。正しい漢字表記をご存知の方は、是非、御教授あられたい。

・「切名」切銘。刀剣で中子に製作者の名が刻んであるもの。これは「銘の物」と称し、一般には確かな名刀の証しである。

・「切支丹御征罰」島原の乱を指すか。幕府軍の攻撃とその後の処刑によって最終的に籠城した老若男女三七〇〇〇人(二七〇〇〇とも)余りが死亡している。

・「權房五左衞門」不詳。読みも不詳。「ごんばうござえもん」と読むか。

・「久田」不詳。ここまでの「耳嚢」には久田姓の登場人物はいない。それにしても、かく呼び捨てにするというのはかなり新しい情報筋と思われる。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 珍らしき名刀を手に入れた事

 

 享保の頃、とか申す。

 本多庚之助(ほんだこうのすけ)殿御家中にて――名字は聞き漏らいたが――恵兵衛(けいべい)と申す剛勇の家士が御座った。

 ある夜更け、かなり遠方の村方へ参っての帰り、田の稲叢(いなむら)の中より、突如、六尺を優に越ゆる大男が出て来て、

「……酒手(さかて)……お呉んない!……」

と乞うたによって、

「――今は持ち合わせが――これ、ない――」

と断った。

 ところが、いっかな引き下がらず、それどころか、大脇差を抜き放って斬りかかって参った。

 されば恵兵衛も抜き打ちに斬りつけた。

 幸いにも一刀のもとに、たかりの大男を斬り倒して御座った。

 直ぐ、刀を拭い納めて、その場は立ち去ったと申す。

 ところが、夜道を辿って参るうち、袖や二の腕辺りで、頻りに何やら血糊のようなものが流れる感じが致いたため、

「……さては、知らずに手負いを受けて御座ったか……」

と思って、立ち止まって月明かりにて改めて見ところが、肌脱ぎになってみても、これといって傷を受けたところは、これ、御座ない。

 されど、確かに、夥しい血の滴りが、右袖や右の二の腕に確かにあるゆえ、さらによくよく見てみれば、何と!

――恵兵衛の太刀の束(つか)

――これ

――小身諸共(もろとも)

――一寸斗ばかりも

――斬り落ちておる

ということに、気づいた。

 驚いて、

「……うむむ! 遖(あっぱ)れの切れ物じゃ!」

と感心致いて――もう、夜も丑三つ時にもならんとするに――大胆不敵にも、先(せん)の修羅場へと立ち戻り、その刃傷の辺りを捜してみたと申す。

 すると、確かに、恵兵衛の太刀の小身諸共に切れたものが、そのすっぱり切れたそのまんまに、そこに落ちて御座ったゆえ、拾い取って、その切り口の鮮やかなるを見、

「……うむむ、うむむ! それにしても……盜賊の所持せる刀ながら、遖れの名刀じゃ!」

と、さらに猶も死骸を探って見たと申す。

 すると、かの刀を握りしめたまま、とっくにこと切れて転がって御座ったによって、かの刀を、死骸の手から引き剥がし、己が屋敷へと立ち帰ったと申す。

 その後のことである。

「……かかる切れ物の脇差……いよいよその斬れ味、これ、試してみとうなったわい……」

と恵兵衛、頻りに思うたによって、ある時、主人(あるじ)の屋敷にて、試し斬りのある由、聞きつけ、かの大脇差を持参致いて、主人(あるじ)へ、

「――この脇差儀、どうか、試し斬り給わりますように。」

と、切(せち)に望んだところが、主人(あるじ)も、

「面白い。一つ、試してやるがよい。」

と、即決されたと申す。

 試し斬りの達者(たっしゃ)が、試し斬りのための骸(むくろ)を据えた庭へと出でる。

 かの大脇差も引き出だされ、達者によって刀が抜き払われた。

――と

 達者、その大脇差をつくづくと見ると、

「……むッ! さても珍らしき刀にて御座る! 久し振りの見参じゃ! これは名刀で御座れば――最早――試すに及ず――」

と、その試し斬りの達者、殊の外、賞美致いた上、

「……かくなる名刀――如何にして手に入れられた?」

と、切(せち)に訊ねたゆえ、

「――さても今は何をか隠そうず――かくかくの出来事の、これ御座って、かくも手に入れて御座る。」

と一切を語り明かした。

 すると、かの達者、

「――その刀には、恐らく――特に――『せんずわり』――との切銘(きりめい)が彫られてあろうと存ずる。――改めて見らるるがよい。」

と申したによって、主人(あるじ)からの命もあればこそ、

――チャ!

と茎(くき)を抜いて見てみたところが、果たして

――千頭割――

との銘が彫られて御座った。……

 

「……この大脇差は、何でも、切支丹(きりしたん)御征伐(せいばつ)の折り、夥しき邪教の者どもを斬り殺しましたが、その折りに使われた脇差の中にても、これ、優れて切れ味の良かったものを選び、特にこの――千頭割――と申す切銘を入れた、と伝え聞いておりまする。……それから、かの、この脇差を所持致いて御座った殺されし盜賊は、これ、権房五左衞門(ごんぼうござえもん)と申す、北陸にて名を轟かせた強盜の由にて御座いました。……」

 以上の話は、私昵懇の久田某(ぼう)が、若年の折りに彼の父から聞いた話として私に語って呉れたもので御座る。

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