(無題) 萩原朔太郎 (「くさつた蛤」草稿1)
たいがいのものは非常にやはらかい
まるで軟體動物のやうである
じつにやはらかい
たたきつけたぐにやぐにやして居る
そしてすてきに滑らかである
女の→美人の→處女の肌腰を抱いたやうに滑らかである
絹のやうに不思議なことに女の裸體のやうに滑らかである
私の體身がなめくじのやうである、
かういふ感覺の世界夜に限つて月夜であるが出てゐる
靑い月夜である、
たれも→どんな動生物の姿も見えない
遠い渚で貝が砂
私は波止場で鉤をたれて居る、
渚には微塵子のやうな私がみじんこが渚を步くと泳いでゆくと
砂利の中で貝が息をして居ゐた、
[やぶちゃん注:底本の第一巻『草稿詩篇 月に吠える』(三七二~三七四頁)に載る『くさつた蛤(本篇原稿五種六枚)』とある「くさった蛤」の草稿とする最初のもの。底本では冒頭に『○』があるので標題はないものと見做した。但し、原稿では、
一行目が、
たいがいのものは非常にやはらない
三行目が、
しづにやららかい
五行目が、
そしてすてき滑らかである
十四行目が、
渚には微塵粉のやうな私がみじんこが渚を步くと洗いでゆくと
であるが、底本編者による誤字脱字補正の注に従った。
但し、八行目が底本では、
私の身體がなめくぢのやうである、
に補正されているのは、ママとした。
取り消し線は抹消を示し、その抹消部の中でも先立って推敲抹消された部分は下線附き取り消し線で示した。「→」の末梢部分は、ある語句の明らかな書き換えがともに末梢されたことを示す。なお、
たれも→どんな動生物の姿も見えない
遠い渚で貝が砂
の部分は、底本の記号に従えば、二行セットで消去されていることが判明しているらしい。
なお、抹消部分を消すと
*
たいがいのものは非常にやはらかい
まるで軟體動物のやうである
じつにやはらかい
ぐにやぐにやして居る
そしてすてきに滑らかである
不思議なことに女の裸體のやうに滑らかである
私の體身がなめくじのやうである、
かういふ感覺の夜に限つて月が出てゐる
靑い月夜である、
みじんこが渚を泳いでゆくと
砂利の中で貝が息をして居た、
*
となる。]