重たい書物を抱へて歩む道 萩原朔太郎 (「灰色の道」初出形)
重たい書物を抱へて歩む道
日暮になつて散歩する道、
よく手入れうぃした美しい並木の道道、
ひとり私のうなだれて歩いて行く、
あまりに寂しく灰色なる空の下によこたふ道。
あはれこのごろの夢の中なるまづしき少女、
その少女の姿を戀する心にあゆむ、
その少女は薄黄色なるながき肩掛を身にまとひて、
肩などはほつそりとやつれてあはれにみえる、
ああこのさびしく灰色なる空の下に、
私たちの心はまづしく語り、草ばなの露にぬれて重たく寄りそふ。
戀びとよ、
あの遠い空の雷鳴をあなたはきくか、
かしこの空にひるがへる浪浪のひびきにも耳をかたむけたまふか。
戀びとよ、
この薄暗い冬の日の道べにたちて、
私の手には重たい厭生の書物をかかへてゐる、
みたまへ、
ここの PAGE には菊のすえたるにほひをかぎ、
ここの PAGE には病みたる心靈の光をみる、
そしてこのうすいみどり色の
わびしい病鬱のにほひがする。PAGE,PAGE
は、
風にふかれる葉つぱのやうにちつてしまつた、
ああ げにたえがたくもみぢめなる私の過去よ、
ながいながい孤獨の影よ、
いまこの美しい並木ある冬の日の街路をこえて、
私は遠い憂愁の墓塲をながめる、
ゆうべの夢のほのかなる名殘をかぎて、
さびしいありあけの山の端をみる、
戀びとよ、戀びとよ、
物言はぬ夢の中なるまづしい少女よ、
いつも私はひとりで歩み、
ひとりでかんがへ、
ひとりでかなしみ、
私の白い墓塲のかげに座つてお前のくるのを待ちたいのだ、
このごろ夢によくみる、
よにもしたしげな、そして力ない愛憐の微笑をかぎながら。
[やぶちゃん注:『詩歌』第八巻第一号(大正七(一九一八)年一月号)掲載。次に示す大正一二(一九二三)年七月新潮社刊の詩集「蝶を夢む」に所収する「灰色の道」の初出形であるが、比較されれば分かる通り、これははっきり言うと、コーダが全く異なる別な詩である。詩人は何れの詩でも実は独りであるが、本詩の寂寥の方が遙かに鋭角的且つ清冽である。なお、「厭生」の「生」、「ああ げにたえがたくもみぢめなる私の過去よ、」の二箇所の歴史的仮名遣の誤りはママである。]