栂尾明恵上人伝記 19 各種教学の煩瑣性
凡そ此の上人、外には聖教の源底(げんてい)を極め盡し、内には禪定の證智相應し給へり。邪正二宗の迷悟に於いて、又一念も疑ひなし。常に語りて曰はく、若しくは一管の筆、若しくは一挺(ちやう)の墨、若しくは栗・柿一々に付いて、其の理を述べ、其の義を釋せんに、先づ始め凡夫我法(がはふ)の前に粟・柿と知りたる樣(やう)より、孔老の教へに、元氣道より生じ、萬物天地より生る、混沌の一氣、五運に轉變(てんぺん)して、大象(たいしやう)を含(がん)すと云ひ、勝論所立(しようろんしよりう)の實・德・業(ごふ)・有(う)・同異・和合の六句の配立、誠に巧(たくみ)なりと云へども、諸法の中に大有性(だいうしやう)を計立して能有(のうう)とし、數論外道(しゆろんげだう)の二十五諦(たい)も、神我自性常住(じんがじしやうじやうじゆう)の能生(のうしやう)を計して、巳に解脱の我(が)、冥性(めいしやう)の體に會する位を、眞解脱處と建立(こんりう)せる意趣にもあれ、又佛法の中に先づ自宗の五教によるに、小乘の人空法有(にんくうほふう)・始教の緣生即空(えんしやうそくくう)・終教の二空中道・頓教(とんぎやう)の默理(もくり)、圓教の事々相即(じじさうそく)・又般若の眞空(しんくう)・法相(ほつさう)の唯識無境(ゆしきむだん)の談(だん)・法華の平等一乘・涅槃の常住佛性(じやうじゆうぶつしやう)にもあれ、一々の經宗(きやうしゆう)により一々の迷悟(めいご)の差異、其の教宗に付きて、粟柿一の義を述べんに、縱ひ我が一期(いちご)を盡して、日本國の紙は盡くるとも、其の義は説き盡し書き盡すべからずと云々。